学長室だより

2003年6月20日号

学長というものは、旅に出ることの多い職務である。この春だけでも、東京は何度か。京都、大宮、西宮、その他を転々とした。その度に、ふだん読めない本を数冊カバンのなかにいれて歩く。この晩春に読んだ1冊に旧師・福原麟太郎の「書簡・日記」があった(「随想全集」8)。
1945(昭和20)年8月13日の日記には、「こないだから読んでいた 『サヴォイ・オペラの研究』 福田義孝著をゆうべ読了」とある。 14日、「朝よりB29,1機または2機しきりに来襲し、壕に入る」。夜は、「B29関東および東北に入ること85機。蚊に喰われながら起きている」。翌15日(つまり敗戦の日)正午、…勅語の御放送を承る。 …成田 [成壽] ・ 高村 [勝治] 氏と杯を交し、新しき日本のために研究精進を約す」 とある。軍国主義下の「敵機来襲」の東京で、人文学の研究家たちは、こうして(ときにヒューマーさえ忘れないで)悠々と生きていた。国と国との戦いは、その時の政治屋たちの強がりで進められる。ただ、人文学は政治屋の上をゆくものだ。福原先生の随想を読みながら、電車のなかで、ふと思い出していたのは、sub specie aeternitatis (永遠の相のもとに)というスピノザのことばであった。(新井 明)