学長室だより

学問の厳しさを教えて下さった師

関根正雄先生は内村鑑三の最後の弟子だった方でした。読みあさった内村鑑三の著作や、新渡戸稲造、矢内原忠雄が書いたものを通して無教会の考え方には親しんでいました。『イスラエル宗教文化史』の著者が、内村鑑三の最晩年の弟子のひとりで、同じ門下生の塚本虎二の集会に出ておられたが、後に独立されたことなどは知っていました。
初対面の印象はアーレフ・ベーツの歌に尽きています。ヘブライ語の夜間講座には、関根集会の方々も学んでおられました。周りを取り囲むように、敬愛する関根先生に師事している姿をよく覚えています。先生は威厳のある方で、安易な気持ちでそばに行って、なれなれしく質問し話しかけるという雰囲気ではありませんでした。学問に対する厳しい姿勢は、恐らく内村鑑三以来の伝統で、信仰者としても自己に厳格な姿勢を貫いておられました。しかし一旦教室や集会の場から離れると、普段はにこやかで柔和な先生だったのです。でも最初は近づけませんでした。
大学の四年間に五回も全学ストライキがあり、授業が行われないという時代でしたから、教室で学ぶ時間はあまりなかったと言えます。吉祥寺の喫茶店が教室だったと笑い話になるくらいで、友人と読書会を始め互いに学びあったのです。しかしヘブライ語に興味を持つ友人はいませんでした。夜間講座に出たことが、後に大学院で関根先生に師事するきっかけになったのです。出会いの不思議さを感じます。(鈴木 佳秀)