学長室だより
ふるさとが仕事場であることの幸い
職人の方々のように、天職とする自分の仕事に迷いがないのはうらやましい限りです。ほとんどの方が自分のふるさとの周辺で働いておられます。技能を向上させるため日々の努力が求められるので、決して楽な道ではないでしょう。
様々な職種の方がおられますが、新発田まつりで、台輪に注ぐほとばしり出るような情熱を思うと、ふるさとと自分の仕事場がひとつであることのすばらしさが感じられます。うらやましい気持ちで、民謡流しに参加しています。自分にはふるさとがないからです。
転勤族の子供として過ごした者には、童謡に歌われる「ふるさと」はありません。数年おきに転勤を繰り返したため、幼なじみや腕白仲間の思い出は希薄です。転校先で必ずいじめにあいました。アメリカに留学した時も、専門から見て、日本の大学には職がないと思っていました。アメリカで生きるしかないと覚悟を決め、論文を書いていたのを思い出します。
新潟で職が与えられたことは奇蹟でした。教壇に立った時、「天職」の重みを考えさせられました。ふと、ここが自分のふるさとになるのかもしれないと感じました。よそ者を受け入れてくれる風土があるのかは疑問でしたが、自分の使命を信じ、ひたすら教育研究に没頭してきました。学内に友人は大勢できましたが、地域の方とのお付き合いはほとんどありませんでした。「転勤族」のままであったのかもしれません。それが、新発田市に赴任して、「ふるさと」を感じるようになったのです。(鈴木 佳秀)