学長室だより

問題解決を求めて写経を

関根正雄先生に提出するレポートを書いた時の聖書テキストを持参してきていました。ビブリア・ヘブライカと呼ばれるヘブライ語聖書で、日本では旧約聖書と呼ばれていますが、その申命記の分冊を机の上に広げたのです。祈りを捧げ、確認したことのある二人称単数形の部分と複数形の部分を、それぞれ辿ってみました。レポート執筆時の認識から、一歩も先に進んでいません。どうすればいいのかと呆然となってしまいました。
インスピレーションを求めて作業を始めた時、関根先生が語っておられた言葉を思い出したのです。「まずテキストを読むことから始めなさい」と。研究書や論文から読み始めるのでなく、聖書本文に聞くことから始める、それが聖書学の鉄則であると教えられたのです。
新しい大学ノートを取り出し写経を始めました。テキストを眺めているだけでは何も浮かんでこなかったからです。祈りつつ、一文一文を丁寧に書き写し始めました。二人称複数形と判断できる箇所に緑色のマークを、二人称単数形とみなしうる箇所にピンクのマークを付けながら、毎日、写経を続けたのです。気づかされることがありました。申命記本文には、表題や導入の言葉のように三人称だけの文章もあり、会話文の中に一人称複数形で「われわれ」とモーセが語っている箇所もあることです。二人称表現だけ見ていては解決ができないと思えたのです。
どの言語要素をもって二人称単数形とみなすべきかを精査すれば糸口がみえるはずだと、ふと示されたのです。ヘブライ語聖書には名詞文が多用されていて、そこでは人称代名詞が鍵となりますが、動詞組織そのものが、その変化形に人称や数を体現させているからです。写経が楽しくなってきました。(鈴木 佳秀)