学長室だより

新たな出会いに向けて

数ヶ月も返事が来ないということは、駄目だったことを意味します。母校の関係者が、アプリケーションが受理されず、受け入れられなかったのだと言うのです。諦めた方がいいという教師もいました。そうかもしれないと考えたのです。周到な準備をして動いていたわけではなかったからです。幾人かの先生の勧めで手続きをしたという気持ちがあったので、やはり自分は塾の教師になるしかないと思いました。どうなったかと聞かれるのが辛かったのを覚えています。推薦状を書いていただいたのに、それが実を結ばなかったからです。関根先生と左近先生にご迷惑をおかけした、という気持ちでした。読書会の仲間と、塾を立ち上げる準備を始めたのです。ところがある日、航空便が舞い込みました。クニーリム教授からの手紙でした。震える手で封を開けたのを思い出します。
あなたからの手紙を受け取ったが、自分はハンブルグ大学からの招聘を受けていて、家族でハンブルグに帰る予定であった。だから返事が書けなかったと記されていました。クレアモント大学院からは留まるように強い説得があったが、フォン・ラート先生の奥様の薦めでもあったから、迷わずハンブルグに赴任することを決めていた。しかしアメリカで育った子供たちがドイツに帰ることに反対なのだ、というのです。家族で相談し、クレアモントに留まることを決めたというのです。
そこでようやくあなたに返事を書くことができるようになった。クレアモントに留まる条件として、この学生に奨学金を出すように要求し、それを大学院が認めたので、是非とも来るようにと結んでありました。(鈴木 佳秀)