学長室だより

一日八時間

一ドルが三六〇円時代でした。奨学金を貯蓄していたのですが、それらすべてを費やして渡米したのです。大学時代に学費を出してもらったので、親からの援助は求めないで飛行機に乗りました。ロスの空港でクニーリム先生の出迎えを受けました。「わたしも外国人だ」と握手して言われた言葉を、今も忘れません。
翌日、先生の研究室を訪れて今後の相談をしたのです。学位論文については、手紙に書きましたとおり神顕現の様式史的研究で書きたいと言いました。ところが先生は、そんな主題は誰かにやらせておけばいい、あなたは申命記の人称交替問題を取り上げそれで博士論文を書きなさいと言われたのです。びっくりしました。その問題は避けて通りたかったからです。いくら説明しても彼は頑として受け入れないのです。昨年大学院の演習で自分も申命記を取り上げたが、説明ができないまま終わった。あなたなら解決できるはずだ、と言うのです。初日からこのような話になるとは予想もしていませんでした。関根正雄先生がどのような推薦状を書いて下さったのか、わたくしは知りませんでしたが、どうやら、鈴木は申命記研究で論文を書いたと紹介して下さったらしいのです。郵送したわたくしの論文には英文のサマリーが付いていましたが、まさか申命記で学位論文を書くことになるとは考えてもいませんでした。課題が申命記に決まってしまいました。
一年目の十教科の試験を突破するため、一日八時間は勉強せよと言われました。ドイツ人はそれくらい勉強する、というのです。日本人なら十時間です、と応答したのです。(鈴木 佳秀)