学長室だより

思いもよらなかったこと

歴史の教員として採用されるが待遇は専任講師である、と言われてびっくりしました。バークレイの大学院教授から新潟大学教養部専任講師への落差については、表現しがたいことでした。クレアモントで取得した博士号があっても、わたくしには大学での講義経験がないから、一番下からという説明でした。日本に帰ってこられたことを考え、辛抱することにしたのです。安藤先生からは、古代オリエントの歴史、宗教思想史を担当するように言われました。専門の旧約聖書を教えてもいい。しかし現代に生きる学生たちの目線で講義をするようにと言われました。国立大学で旧約聖書を講義できるとは想像もしていませんでしたから、これは嬉しかったです。でも給与が低いため、生活は大変でした。
辞令をもらって、講義用に準備したノートや資料を手に、最初の講義を行うため教室に向かいました。1982年4月15日午前10時45分、講義が始まったのです。大学の教員にだけはならないつもりでいた学生時代の自分を思い出し、不思議な運命に翻弄されてきた気持ちで、教室に足を踏み入れました。300人を越える学生たちの視線が、いっせいに自分に向けられた時の緊張を覚えています。教壇に立って、しばらく声が出ませんでした。感慨無量で、この時に至るまでの歩みが走馬燈のように脳裏をよぎったからです。
簡単に自己紹介をして、古代オリエントの歴史について、どのような切り口で講義をするかを説明しました。授業のガイダンスをしながら、学生を裏切るようなことは決してしないと心に誓ったのも、この時でした。自分が見てきたような「大学教授」にはならないという覚悟で、教壇に立ったからです。(鈴木 佳秀)