学長室だより

「オバマ大統領の広島演説」(2016.7.1 C.A.H.)

「人は、たとえ全世界を手に入れても、自分の命を失ったら、何の得があろうか。」(マルコ8:36)

20160701チャペル・アッセンブリ・アワー2

 

5月27日の伊勢志摩サミットの直後にオバマ大統領は広島を訪れ、歴史に残る「広島演説」を残しました。オバマ大統領が「広島演説」をする2週間前には、先々週まで本学の日本文化・日本語研修プログラム(JCLP)に7人の学生が来ていたワシントンD. C. のハワード大学の卒業式で印象的な演説をしました。

オバマ大統領は、何をしに広島に来たのでしょうか。日本国内では、広島で原爆を落としたことに謝罪するか、しないか、ということに関心が集まっていました。謝罪するために広島に来たのでしょうか。そうではありません。オバマ大統領は演説の中で広島に来た目的を4回も明確に語っています。

第一に、「なぜ私たちは、広島に来たのか。私たちはそう遠くない過去に解き放たれた恐ろしい力に思いをはせるために来たのです。」(第1部2段落)すなわち、核廃絶のために、倫理的革命を訴えるために来たのです(第2部3段落、第3部6~7段落)。第二に、「死者を悼むために来たのです」(第1部2段落)。すなわち、すべての戦争の犠牲者を弔い、それと共に広島の原爆の犠牲者を弔うために来たのです。

オバマ大統領任期最後の年の2016年の「広島演説」は、任期の最初の年の2009年の「プラハ演説」と対になって「核廃絶」を訴えています。実は、オバマ大統領は、大統領や上院議員になる、はるか以前の学生時代から核廃絶の運動に関心があり、また調べていたのです。

戦争の犠牲者を悼んでその霊を弔い、生き残った遺族を慰めて励ます演説は、修辞学(弁論術)では「葬礼演説」という演説のタイプに属します。有名な葬礼演説としてリンカーン大統領の「ゲティスバーグ演説」があります。リンカーン大統領は南北戦争の終結間際に、激戦地の戦場で3分間の演説をし、生き残った人々がなすべき民主主義の理念を「人民の、人民による、人民のための政治」という有名な言葉で結びました。

リンカーン大統領の葬礼演説の流れは、古代ギリシアのアテネの黄金時代の「ペリクレスの葬礼演説」にまで遡ります。ペリクレスはペロポネソス戦争でスパルタと戦って亡くなったアテネの人々の霊を、都市国家の歴史の始めからその民主主義を守るために戦って亡くなった人々の霊と共に弔い、残された遺族を慰め励ましました。

オバマ大統領は、広島・長崎の原爆犠牲者について弔う前に、原始時代からの人類史に遡り、有史以来戦争という暴力の連鎖があることを指摘し、そして第二次世界大戦中に亡くなった6千万人の人々の霊と共に、広島・長崎の原爆の犠牲者を弔います(第1部)。

さらに、科学の進歩と社会の革新によって人間の暴力性が覆い隠されてきた面を指摘し、宗教も殺戮者を生み出すことがあり、科学技術の革命は殺戮のために用いられることがあることを指摘します。そこで、科学技術の革命と共に倫理的な革命が必要なことを訴えます。(第2部)

また核保有国も、「核なき世界」を追い求める勇気を持たなければならないと説きます。しかし、それは「私の生きている間に、この目標は実現しないかもしれません」(第3部2段落)とプラハ演説と同様に語ります。これはオバマ大統領が将来必ず実現すると信じている“I have a dream”(マルティン・ルーサー・キング)です。

プラハ演説で「ビロード革命」というチェコ語を用いたように「被爆者」という日本語を一つ用いて、謝罪ではなく、爆撃機のパイロットを赦した女性と殺された米兵の家族を探した男性の和解のエピソードを述べます。

倫理的革命の鍵の「すべての人は等しくつくられた」という文は、リンカーン大統領がゲティスバーグ演説でも引用したアメリカ独立宣言の重要な一文です。これは「たとえ全世界を手に入れても、自分の命を失ったら、何の得があろうか」と同じ、「すべての人は等しく尊い」という人権の原理を表明しています(第3部6段目)。この人権の原理は、世界平和の原理でもあり、核廃絶の倫理の根拠でもあるのです。祈りましょう。(山田 耕太)