学長室だより
2020年度前期卒業式式辞(山田耕太学長)
卒業生の皆さん、敬和学園大学ご卒業おめでとうございます。今日はすばらしい秋晴れで、皆さんの門出を祝しているかのようです。皆さんがここに至るまでの大学生活の歩みを振り返れば、その中には晴れの日もあり、曇りの日もあり、雨の日も雪の日もあったことでしょう。日本人学生は日本人学生なりに、留学生は留学生なりに、勉学の上でも生活の上でもさまざまな困難や課題と向きあいながら、それらを一つひとつクリアして、大学生活の到達点である卒業を迎えることができたので、心からおめでとうと申し上げます。
この4年間の大学生活の中で、さまざまなことを通して成長したと実感できるのではないでしょうか。比べるのは他の人との比較ではありません。他の人より成長したかどうかは重要ではありません。比べるのは自分の過去との比較です。自分らしい考え方を少しでも身につけ、自分らしい生き方の方向が以前より一層はっきりと分かってきたと思います。
「卒業式」を英語では”commencement“すなわち「始まり」と言うように、平均寿命で考えると60年近く生きる長い人生の土台づくりの上に立って、新たな出発の日、始まりの日です。精神的に自立していくと同時に、経済的にも自立していくことを目指していかなければなりません。新しい企業に入っても、そこでも絶えず学び続ける姿勢を忘れないでください。ただし、学ぶ内容は小・中学校・高校・大学という学校教育で学んできたこととは全く違う、商品知識や顧客について、あるいは会社の上司や同僚との人間関係についてであるかもしれません。
皆さんの新しい旅立ちに際して、はなむけに聖書の言葉をお送りします。それは「あなたがたは地の塩である。あなたがたは世の光である」(マタイ福音書5章13、14節)という言葉です。塩分の取りすぎは体によくないことはよく知られています。しかし、人間の体は、60%が水分でできていますが、その0.9%は塩分です。塩がないと人間は生きていくことができないのです。また、現代で特に都会では夜でも明るくなっていますが、人類が原始時代から現代の文明社会を作り出すまでに努力してきたのは光です。植物も動物も人間も、自然界は太陽の光によって命を与えられてきました。イエスは聖書で「あなたがたは、大地の塩である」「あなたがたは世界の光」であると言いました。どんなに小さな存在であっても「大地」すなわち社会に必要な「塩となれ」、どんなに小さな存在であっても「世界」すなわち社会に必要な「光となれ」と励ましたのです。
敬和学園高校の初代校長太田俊雄の少年時代(15歳ころ)のエピソードを一つ紹介します。太田俊雄は岡山県倉敷に近い三田(みつだ)の石切場の親方の子でした。そこは万成石(まんなりいし)という大変美しい桜色の御影石を産出する場所として知られていました。太田少年は小学生の時から学校から帰ると石切場でお父さんの手伝いをして育ちました。しかし、物心がついてくると他人と比較して親の仕事を恥じるようになりました。現在の中学・高校にあたる旧制私立中学校の岡山黌(おかやまこう)に英語の先生として赴任してきた柴田俊太郎という先生から声をかけられます。先生は、元気なくうな垂れていた太田少年に向かって「天下の三人の俊秀」を知っているか」と尋ねます。太田俊雄の「俊」と柴田俊太郎の「俊」と本間俊平の「俊」です。本間俊平については現在では忘れられた人となっていますが、新潟県西蒲原郡間瀬漁港出身で、山口県秋吉台の大理石の石切場で、非行青少年の更生保護事業に長年貢献して「秋吉台の聖人」と呼ばれた人でした。柴田俊太郎ばかりでなく、当時の多くの人が尊敬してやまない存在であったのです。森鴎外の短い小説の主人公にもなっています。この柴田俊太郎の言葉と支援によって、やがて太田少年は柴田俊太郎のような教師になりたいと志を立て、東京の夜間大学を卒業して英語教師となり、各地の公立学校の教師14年を経て、やがてアメリカ留学から帰国して神学校の教師14年も経て、その生涯の最後に敬和学園を創立して16年間初代校長となり、敬和学園の礎石を築いたのです。まさにあの「三俊」という言葉がけから、「地の塩」「世の光」となっていったのです。
皆さんも与えられた場で、どのような小さなことであってもよいですから「地の塩」「世の光」となることを心掛けてください。また、留学生はどのようにささいなことであってもよいですから、お国と日本との「架け橋」となることを心掛けてください。皆さんが敬和学園大学での学びを土台として、世界に向かって大きく羽ばたいていき、幸せな生涯を送られますように心からお祈り申し上げます。
2020年9月30日
敬和学園大学長 山田耕太