学長室だより

2020年度卒業式式辞(山田耕太学長)

式辞を述べる山田学長

卒業生と保護者の皆さん、敬和学園大学ご卒業おめでとうございます。新発田・聖籠の地でも水仙やレンギョウの黄色い花が咲き、大学では紅梅や河津桜の赤い花が満開になりました。35年振りの豪雪という厳しい冬が過ぎて、ようやくこの地にも春が巡ってまいりました。皆さんが4年前に入学した直後に植樹式で植えたユリノキの苗木は、この4年間でしっかりと大地に根を張って若木となりました。5年から10年の冬を越えて年輪を重ねていくと、先輩たちが植えた周りのユリノキと同じように、太い幹となって上に向かって伸びていき、やがて白い花を咲かせます。

今から4年前の大学に入学したころのことを思い起こしてみてください。そのころの自分と今の自分とを比べてみてください。人と比べるのではなく、過去の自分と今の自分とを比べてみてください。そうすると自分がいかに成長してきたか、いかに自立してきたか、いかに困難を乗り越えてきたかが分かると思います。また、いかに失敗したか、いかに人から教えられ、いかに人に助けられてきたかも分かると思います。誇らしい成功体験も恥ずかしい失敗体験も、自分の成長にとっては将来に向かって伸びていくのに大切な宝の経験となるのです。

この一年間はコロナ禍の中での未曽有の経験の中で、遠隔の授業を経験し、友達と会う機会も限られ、アルバイトも減り、経済的にも困窮し、就職活動も限定されて思うようにできなかった中で、何とか大学卒業にまでこぎ着けました。皆さん、一人ひとり本当によくやってきました。この大学で精神的にも十分に成長してきました。これからはこの大学での学びを土台にして、「いつでも」「どこでも」「なんでも」学び続けていく覚悟をもってください。そして与えられた仕事という場で、自分らしい生き方とは何か、たった一回しか生きられない人生で、私しかできない生き方とは何かを考えながら、自分で自分をしっかりと育てていってください。

皆さんの旅立ちのはなむけとして、イエスの譬話の中で最も有名な「善きサマリア人の譬」(ルカ10:25-37)を贈ります。ここに私たちがいかに生きるべきかというヒントがあります。この譬話の導入となっている前半は、イエスと律法学者と呼ばれるユダヤ教の専門家との対話になっています。ユダヤ教の律法の専門家は「イエスを試そうとして」と書いてあるように、イエスを捕らえようとする悪意をもって近づいてきて「何をしたら永遠の命を受け継ぐことができるのか」と問い、イエスは「律法には何と書いてあるか」と反対に問い返します。

イエスは十戒の前半「神は唯一である」「偶像をつくってはならない」「神の名前をみだりに唱えてはならない」「安息日を聖とせよ」という神と人間の関係の戒めを愛の精神で解釈して「全身全霊で神を愛せよ」と教えました。イエスは十戒の後半「父と母を敬え」「殺してはならない」「姦淫してはならない」「盗んではならない」「偽証してはならない」「隣の家の物を欲しがってはならない」という人間と人間の関係の戒めを愛の精神で解釈して「隣人を自分のように愛せよ」と教えました。「神への愛」「隣人愛」の教えはキリスト教の教えの核心であるばかりでなく「敬和学園」の教えの核心でもあるのです。敬和学園高校の太田俊雄初代校長は敬和学園を始めるときに「神への愛」と「隣人愛」を日本的な文脈で「神を敬い」「人と和する」と解釈して「敬和」と名づけました。

律法の専門家は、イエスの教えをよく知っていました。自分はイエスの教えは十分に知っている、自分は知識があるので正しいと主張しようとして「隣人とは誰か」と念のために尋ねたのです。人々は「隣人」とは同じ地域の人、少なくとも同じ国民、律法学者は「隣人」とは同じユダヤ人と考えていました。

イエスは譬話の中で、エルサレムから荒れ野の道をオアシスの町エリコへ向かう旅人が、途中で追いはぎに襲われて服まで取り去られて殴られ、瀕死の状態を描き出します。そこに3人の人が通りかかります。第一に、ユダヤ人の社会のエリート層で宗教的権威をもって人々から尊敬されている祭司、第二に祭司にエルサレムの神殿で仕えて、讃美歌を歌ったり音楽を奏でたり犠牲の動物を捧げたりするレビ人、第三にユダヤ人社会で汚れ多いと忌み嫌われ、外国人として差別されているサマリア人。祭司とレビ人は強盗に襲われて瀕死の人を見ても、誰も見ていないので見て見ぬ振りをしてそれに関わらずに「道の向こう側」を通り過ぎていきます。3番目に来たサマリア人は「憐れに思い」直訳すると「五臓六腑(腸)が痛み」、当時の介抱の仕方で介抱してその宿賃(デナリオン銀貨2枚)を払い、さらに費用がもっとかかったら帰りがけに払うとまで言って関わります。最後にイエスが律法の専門家に「3人の中で誰が隣人になったか」と尋ね、「あなたも同じようにしなさい」と勧めます。「隣人である」のではなく「隣人となる」ことを勧めたのです。「名もなき弱く傷ついたそんな隣人にこそよりそえるものとなりたい」ものです。これが敬和の教育です。

最後に、大学で出会った友人を大切にしてください。家族を大切にしてください。大学で学んだことを土台にさらに発展させて、自分が一生の課題として取り組むライフワークとは何かを生涯をかけて見いだしていってください。皆さんお一人おひとりの生涯が、幸多くあれ、雄々しく生きよ、しっかりと立て、と祈っています。

2021年3月26日
敬和学園大学長 山田耕太