教育プログラム

【学生レポート】沖縄の「過去」を心に刻んだ4日間~沖縄・広島・長崎から平和を考える学びあいに参加して~[2019-08-22]

敬和学園大学はキリスト教主義の大学として、沖縄キリスト教学院や広島女学院と連携し、学生たちに平和について考える機会を提供しています。

夏休みの4日間を利用して沖縄キリスト教学院大学で行われた「沖縄・広島・長崎から平和を考える学びあい」に本学から2名の学生が参加しました。このプログラムには、敬和学園大学、沖縄キリスト教学院大学のほか、沖縄キリスト教短期大学、広島女学院大学、西南学院大学の学生が参加しました。
本学から参加した井口望都さん(国際文化学科3年)からのレポートをお届けします。

<はじめに>
「沖縄・広島・長崎から平和を考える学びあい」とは、8月19日から22日の4日間の学習プログラムで、内容は記念碑や施設を巡りながら沖縄戦の歴史を学んだり、辺野古での米軍基地建設のことなど、沖縄の「過去」と「現在」を学ぶものです。
「二度と戦争を起こさないために、また平和をつくっていくために私たち若い世代がどのような取り組みをしていけばよいのか、あるいは取り組みを行っているのか、そのようなことを共に考え分かち合う」という目的で開催されました。

沖縄・広島・長崎から平和を考える学びあい

沖縄・広島・長崎から平和を考える学びあい

私が見てきた沖縄の「過去」のうちいくつかを紹介します。

 

<沖縄戦での市民の避難所、チビチリガマとシムクガマ>

沖縄県の本島中部西海岸にある「読谷村(よみたんそん)」という村には、沖縄戦で米軍が上陸してきた時に市民の避難場所であったチビチリガマとシムクガマがあります。ガマとは洞窟のことで、人々はこの自然の洞窟に身を隠して生活していたということになります。

まずチビチリガマから紹介します。チビチリガマでは当時、奥行き50mのガマの中に140人が生活しており、ほとんどの人がガマの中で亡くなられました。

読谷村にあるチビチリガマ

読谷村にあるチビチリガマ

チビチリガマ付近に12体のお地蔵さんと1本の十字架が置かれています。これは後ほど紹介する沖縄出身の彫刻家、金城実さんの作品です。12という数字は干支を表しており、ガマで亡くなられたすべての人と、その中に一人だけいたクリスチャンの方を含め全員があてはまるようにつくったのだそうです。

チビチリガマにある、12体のお地蔵さんと1本の十字架

チビチリガマにある、12体のお地蔵さんと1本の十字架

 

次にシムクガマです。シムクガマは奥行き2,000m以上の場所で、1,000人が避難し全員が助かりました。
中はひんやりとしていてとても広いです。地面には、当時人々が使っていたお皿の破片が埋まっているのが確認できます。

ひんやりしてとても広い、シムクガマ

ひんやりしてとても広い、シムクガマ

ガマの中の人々を助け導いた英雄として、ヒガヘイジさん・ヒガヘイゾウさんという二人の人物の記念碑が置かれています。

ヒガヘイジさんとヒガヘイゾウさんの記念碑

ヒガヘイジさんとヒガヘイゾウさんの記念碑

 

<彫刻家 金城実さんのアトリエ>
プログラム2日目、沖縄・浜比嘉島(はまひがしま)出身の彫刻家、金城実さんのアトリエ「箆柄暦(ぴらつかこよみ)」を訪ねました。

金城実さんのアトリエ「箆柄暦」

金城実さんのアトリエ「箆柄暦」

金城実さんは大学卒業後、英語教師をする傍らで彫刻制作を始められました。作品の多くは、沖縄や戦争、人間の尊厳がテーマです。私の印象に残ったのは、作品の顔の部分です。溢れんばかりの感情、荒々しさや怒り、悲しみ、憎しみが強く感じられました。戦争を美化せず、ありのままに表現した作品に心を打たれました。

さまざまな感情を感じさせる、金城実さんの彫刻作品

さまざまな感情を感じさせる、金城実さんの彫刻作品

私たちがアトリエを訪問した際も、金城さんは作品をつくられていました。10分という短い時間でしたが、お話を伺うこともできました。金城さんは「あなたたちには歴史を学んでほしい」ということを何度もおっしゃいました。「彫刻を始めたばかりのころは間違えて手を打ったり痛い思いをたくさんしてきたけれど、”痛い・つらい・悲しい”という感情は、学習するために必要な感情なんだ」という言葉が今でも心に残っています。

私たち若者に歴史を学ぶ大切さを伝えてくださった金城実さん

私たち若者に歴史を学ぶ大切さを伝えてくださった金城実さん

 

<元白梅学徒隊・中山キクさんの講演会>
中山キクさんは、沖縄県の佐敷町(さしきちょう)出身です。小学生時代、友達の親族がどんどん戦場に駆り出され、出兵兵士には「お国のために命を懸けて」と何度も声をかけて見送ったそうです。

丁寧に戦争体験を語ってくださった中山キクさん

丁寧に戦争体験を語ってくださった中山キクさん

昭和16年、中学生のころに白梅学徒隊に入団。家族の反対を押し切り、「お国のために働きたい」という一心で入団したそうです。しかし待っていたのは壮絶な毎日でした。すべての時間がラッパの音により仕切られ、服装や髪型も厳しく統制されました。18日間あった看護教育では、負傷した兵士を雨戸の上にのせて運び、いつ爆弾に当たって死ぬか分からないという、まさに命がけの経験をされたそうです。手足の切断が目の前で行われ、学徒隊の生徒はロウソクの明かりを照らしていないといけませんでした。少しでも怯んで、ロウソクの明かりが傷口からズレれば怒鳴られ、鉄のブーツでスネを蹴られました。日本敗戦を目前にして、学徒隊からは脱退されましたが、その後50年間、白梅学徒隊での経験を決して口にはできなかったそうです。

そして現在、キクさんは90歳。「本当は3時間でも皆さんにお話ししたいんですけどね」と笑顔を浮かべながら、私たちに丁寧に戦争体験を話してくださいました。戦争の記憶は、人から人へ受け継いでいかなければいけません。私たち若者には、それを後世に語り継いでいく義務があると思います。

 

キクさんから、戦争体験をつづった絵本をプレゼントしていただきました。敬和学園大学の図書館に寄贈しましたので、ぜひ手に取ってお読みください。

中山キクさんの絵本(敬和学園大学 図書館)

中山キクさんの絵本(敬和学園大学 図書館蔵書)

 

<今回のプログラム全体を通しての感想>

沖縄戦においては、兵士も市民も関係なく銃を持たされ、殺し合いました。そこでは人を人として見ることはなく、何の罪もない子どもですら、相手国にとっては敵でした。記念館で写真を見ただけで鼻を突くような臭いが伝わってきそうでした。その経験一つひとつが、私の心に沖縄の存在を確実に刻んでいきました。プログラムが終わった今でもSNSを通して、知り合いの方から沖縄の「今」を伝えていただいています。このつながりは途絶えさせてはいけないと思うし、もっと広めていくべきだと思います。来年度もこのプログラムで、私たちと同じようにほかの学生たちも実際に沖縄の空気と歴史に触れることで、このつながりがもっと広まることを強く願います。

沖縄で共に学び、つながることができた仲間たち

沖縄で共に学び、つながることができた仲間たち

(国際文化学科3年 井口望都)

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