キャンパス日誌

【学生レポート】無関心さが生む沖縄の「今」~沖縄・広島・長崎から平和を考える学びあいに参加して~

敬和学園大学はキリスト教主義の大学として、沖縄キリスト教学院や広島女学院と連携し、学生たちに平和について考える機会を提供しています。

夏休みの4日間を利用して沖縄キリスト教学院大学で行われた「沖縄・広島・長崎から平和を考える学びあい」に本学から2名の学生が参加しました。このプログラムには、敬和学園大学、沖縄キリスト教学院大学のほか、沖縄キリスト教短期大学、広島女学院大学、西南学院大学の学生が参加しました。
本学から参加した早瀬友さん(英語文化コミュニケーション学科4年)からのレポートをお届けします。

<はじめに>
8月19日から22日の4日間で開催された「沖縄・広島・長崎から平和を考える学びあい」に参加しました。
このレポートが、皆さんそれぞれが少しでも平和について考えるキッカケになればと思います。

今回の会場となった、沖縄キリスト教学院大学

今回の会場となった、沖縄キリスト教学院大学

 

<沖縄県立平和記念公園にて、平和の礎と平和の火、平和記念資料館>
平和記念公園は沖縄本島南部にある”沖縄戦終焉(しゅうえん)の地” 糸満市摩文仁にあります。公園内には平和の礎、平和の火、平和記念資料館、そして各都道県・各団体の慰霊塔が50もあります。

まず、「平和の礎」について説明します。平和の礎には人の名前が刻まれています。軍人、民間人を問わず沖縄戦で亡くなられた、名前がわかっている全ての方の名前が刻まれているのです。それは日本人だけでなく、沖縄戦で亡くなられたアメリカや台湾、韓国・朝鮮の人の名前も刻まれています。
引率してくださった金井先生のお話の中で一番いいなと思ったのは、この平和の礎は、記念碑であるということです。祈るほうの”祈念”ではなく、記念日とかの”記念”なのです。つまり、この平和の礎は、戦没者を”慰霊”したり”追悼”するところではないということなのです。このため、線香を焚いてはいけないという決まりもあるそうです。では、何を記念しているのかというと、戦争の愚かさ、悲惨さ、そして平和の尊さを記念しているのです。この場で平和について学んでほしいという願いが込められているのです。

沖縄戦で亡くなられた方の名前が刻まれた「平和の礎」

沖縄戦で亡くなられた方の名前が刻まれた「平和の礎」

そして、このたくさん名前が刻まれているゾーンを抜けた先が広場になっていて、そこが平和の広場と呼ばれています。その真ん中には「平和の火」があります。常に燃えているのではなく、慰霊の日や、海外からの来賓の方が訪れた際に灯されるそうです。
僕が皆さんに伝えたいのは、この平和の火が地図になっているというところです。そこには、沖縄が中心となって日本、東アジアの国々が描かれています。つまり、沖縄を中心にして、日本の平和、そして世界平和を考えてほしいというメッセージが込められているのです。

「平和の火」には、沖縄を中心とした東アジアの国々の地図が描かれている

「平和の火」には、沖縄を中心とした東アジアの国々の地図が描かれている

 

最後に見たのは、平和記念資料館でした。ここについては説明を始めたら本当にキリがないです。僕の話を聞くより、皆さんが自分の目で実際に見てほしいなと思います。
僕が感じたこと、思ったことは、戦争って悲惨だなー、恐ろしいなー、ということです。全ての展示物は僕にとってどれもリアリティがありませんでした。きっとほとんどの人が僕と同じように感じるのではないかと思います。でも、僕はそれでよいのだと思います。だからこそ、そんなリアリティのないことを二度と繰り返してはいけないと思えるからです。

 

<辺野古(普天間基地移設問題)>
辺野古は普天間飛行場の移転先として知られています。基地問題について意見を言うのであれば、本当はもっといろいろと勉強しないといけないのだろうと思います。僕は正直まだ基地問題について分からないことがたくさんあります。このレポートを読んでいただいている皆さんの中には、僕なんかよりずっと詳しい人がいると思うので、もし間違っていたりおかしなことがあれば、ぜひ教えてください。

沖縄 辺野古の美しい海

沖縄 辺野古の美しい海

 

私たちは二日目に辺野古に行きました。引率してくださった金井先生は不屈という名の船の船長でもあります。
この辺野古、大浦湾で起こっていることについて、まず最初に皆さんに知ってもらいたいことがあります。
沖縄県というのは日本の国土全体の0.6%しか占めていません。それなのに今現在日本に存在している米軍施設の約7割が沖縄に集中しています。嘉手納基地、普天間飛行場、キャンプシュワブ、キャンプハンセン、北部訓練場・・・、きっと皆さんも聞いたことがあると思います。ほかにも聞いたことのないような軍用施設もあり、全部で33もの軍用施設が沖縄に存在しているのです。

金井先生の船「不屈」にて

金井先生の船「不屈」にて

 

では、問題となっている普天間基地、普天間飛行場の話をします。
普天間飛行場は世界で最も危険な飛行場といわれています。なぜなら普天間飛行場は市街地の中心に存在しているからです。飛行場のまわりには、大学であったり、幼稚園も存在している。このため、日本政府はアメリカ政府と話し合い、この危険な普天間飛行場を全面的に返還してもらうということで合意しました。それは、僕がまだ生まれていない1996年の話です。
返還する代わりに、その代替施設の候補にこの辺野古があがったのです。その後、正式に辺野古に移設することが決まったのが2010年の鳩山内閣の時です。それから2014年に翁長雄志さんが沖縄県知事になり辺野古移設についてさまざまな議論が交わされましたが、結局返還が決まってから23年たった今も、普天間基地は市街地の中心に存在しているのです。

普天間基地のある市街地、中央奥に滑走路が見える

普天間基地のある市街地、中央奥に滑走路が見える

 

政府は去年冬(2018年12月)、ついに辺野古の海に土砂投入を始めました。しかし、辺野古移設には多くの問題点が指摘されています。ボーリング調査の結果では辺野古の海の地盤はとても柔らかく地盤改良の工事をするなら12年はかかるという話や、辺野古につくろうとしている新しい基地の滑走路は普天間飛行場のそれより短くてあまり使えないという話、また仮に辺野古に新しい基地ができたとしても、本当に普天間飛行場が返還されるかわからないという話・・・などです。実は普天間飛行場の返還には、辺野古に移設することを含めて8つの条件があるそうです。辺野古移設ができたとしても他の条件が満たされなければ、普天間は帰ってこない可能性があるのです。

金井先生と一緒に辺野古にて

金井先生と一緒に辺野古にて

 

<今回のプログラム全体を通しての感想>

僕は沖縄に住んでいません。沖縄に住んでいないので、軍機の騒音もないし、オスプレイだったりヘリコプターが墜落してくる心配だってしなくてよいです。沖縄の自然が壊されていることについては悲しいし腹が立ちますが、実際に沖縄に住んでる方々に比べたらそういった面での怒りはあまりないのだと思います。
では、僕が一番何に怒りを感じるのかというと、日本政府が、機動隊や海上保安庁を使って強制的に基地建設工事を進めているということに対してです。日本は民主主義国家なはずなのに、そのプロセスを無視している気がしています。沖縄も同じ日本なのに、沖縄に住んでる人たちも僕たちと同じ人間なのに、なんでこんなにも人間の尊厳が蔑ろにされないといけないのか、本当に理解ができないでいます。そして、そんな沖縄の現状をつくり出したのは、沖縄以外に住んでる僕たちの無関心さだと強く思います。そのことについて、自分自身に対してもとても腹が立ちます。

金井先生が言っていた言葉を最後に残します。
「沖縄の基地問題は決して政治の話ではない、人の、人間の命に関わる話だ」

沖縄の「今」を一緒に考えた仲間たち

沖縄の「今」を一緒に考えた仲間たち

皆さんもぜひ、来年度このプログラムに参加してほしいと強く思います。

(英語文化コミュニケーション学科4年 早瀬友)