チャペルのひびき

隠された悪をこばむために 

チャペル・アワーでは、谷川俊太郎さんの「生きる」という詩の中の「隠された悪をこばむこと」とのフレーズに触れながら、「主の祈り」の中の「こころみにあわせず悪より救い出したまえ」との聖句について学びました。人生の途上にあって、しばしば、悪意と敵意をもって脅威を与えんとする人たちに、私たちは遭遇します。しかし、そのような者たちに抗さんとするうちに、知らず知らずのうちに、私たちも同じような悪意や敵意に染め上げられてしまうことも起こります。「悪より救い出したまえ」との祈りには、悪意や敵意を抱く者と対峙する中にあっても、同様の存在になることなかれとの願いが込められているのです。ある哲学者は、聖書に言及しつつ、神にあっては、怒りと愛とが表裏一体であるが、私たち人間は、怒りをいつしか憎しみに変質させてしまうと語っています。人間のこのような弱さを知るがゆえに、聖書は、怒りや復讐を神に委ねることを教えています、「自分で復讐せず、神の怒りにまかせなさい。悪に負けることなく、善をもって悪に勝ちなさい」(ローマ書12章)。主イエスは、正しく怒ることを知るかたであられると同時に、その怒りを憎しみに譲り渡さず、ご自身の愛に深く結ばれたかた。「隠された悪をこばむために」大切なことは、そのかたの心に「主の祈り」をとおして絶えず結ばれてゆくことなのでしょう。引き続くアッセンブリ・アワーは、新発田ローターアクトクラブの発表の時として持たれました。新発田市ロータリークラブの方々とのお交わりの中で、また自分たちの創意によってなされる数々のボランティア活動をとおして大きく成長してゆく学生たちの様子を知ることができ、うれしく思いました。(下田尾 治郎) 

Ⅰ.チャペル・アワー 
説教 「隠された悪をこばむために」 宗教部長 下田尾治郎 先生

Ⅱ. アッセンブリ・アワー
新発田ローターアクトクラブ活動報告

<参加学生の感想>
感想1)1月1日に地震が起こり、新しい年になってからすぐに、悲しくつらいできごとに直面しました。新年のめでたい日に起きてしまった震災は、多くの人の日常、そして命を奪いました。私は、一刻も早く平穏が訪れることを祈ることしかできず、悲しい気持ちになりました。新年早々、生きるということを改めて考える日となったことを覚えています。多くの人たちが生きるため、また、生きることを支えるために活動している姿をニュースで見て、生きるということは、その人と周りの人の気持ちが一致して、力強くなることであると思いました。新発田ローターアクトクラブの活動報告では、知らなかった活動内容と地域のイベントについて知ることができました。より外に目を向けることで、学内だけでは学べないことも学ぶことができるよい機会を得られる活動だと思いました。
感想2)憎しみや敵意を持って自分に接する人がいた時、その人に抵抗するあまり、自分も憎しみや敵意に染め上げられた存在になりかねない。確かにそうだと思ったし、人間にはそのような「かくされた悪」の側面があることを知った。谷川俊太郎『生きる』という詩には、「生きる」とは「かくされた悪を注意深くこばむこと」であると書かれている。「かくされた悪をこばむ」とは、他者が憎しみや敵意を持って接してきたときに、自分も相手に対する敵意や憎しみに染め上げられた存在にならないようにすること、との解釈があることを知りなるほどと思った。無意識なので完全にそうならないようにするのは難しいかもしれないが、そのことを認識し、どんな人をも愛する生き方ができるとよいと思った。アッセンブリ・アワーでは新発田ローターアクトクラブの活動報告を聞いた。イベントを企画する際に苦労が多くあり、他者とコミュニケーションを取りながら解決して成功したというお話があった。それは、困難に直面したときでも他者に愛を持ち、課題を解決していったということと、私は解釈した。その解釈に基づけば、それはチャペル・アワーでのお話につながるところがあると感じた。