チャペルのひびき

内なる声に従って 

チャペル・アワーをご担当くださった小池正造先生(日本基督教団東新潟教会牧師)は、能登半島の震災で被災された方々を覚える祈りをもって礼拝を始められました。とてつもない苦しみと悲しみをもたらした災難を前にして、このようなことがどうして?との思いに駆られてしまうのも当然です。しかし、先生は、このようなことをもたらしたのは神さまではないことを語られます。そして、このようなとてつもない悲嘆のただ中にも神さまはいてくださると伝えてくださいました。そのことゆえに、未来に通じる全ての道が閉ざされたかに見えたとしても、道は開けるのだと。苦しみのただ中におられる人々に道が開けることを祈りつつ、私たちにできることを求めてゆきたいと思います。アッセンブリ・アワーでは敬愛する鈴木孝二先生(元敬和学園高校教諭、基督教独立学園元校長)が、ご自身の歩んでこられた歩みをお伝えくださいました。若かりしころに導かれた恩師や生涯の友との、また、いくつかの書物との出合いが、先生の人生にとって決定的な方向づけとなったとのことでした。また、生涯の岐路にあって先生が大切にされてきたこととして、ご自身の内なる声に忠実であられたということも知ることがゆるされました。キリスト者であられる先生にとって、ご自身の内なる声とは、祈りの中でご自身に語り掛けられる神さまからの召しと言い換えてもよいでしょう。その召しに忠実に応えてゆくことをとおして、唯一無二なるご自身の生涯の軌跡をこれまで描くことができたのだと、教えてくださいました。私たちにとっても、神さまは、世界にあって一つしかありえないそれぞれの人生を備えていてくださるはず。そのことを心に留めたく思うのです。(下田尾 治郎) 

Ⅰ.チャペル・アワー 
説教 「道は開かれる」 日本基督教団東新潟教会牧師 小池正造 先生

Ⅱ. アッセンブリ・アワー
講話 「内なる声に促されて一時代のただなかを生きる」元敬和学園高校教諭、基督教独立学園元校長 鈴木孝二 先生

<参加学生の感想>
感想1) チャペル・アワーでは、日常で起きるネガティブなできごとに対する感情が変わりました。つらいことや苦しいことは、起きてほしくないことではあるけれども、そのできごとにより、平穏な日常のありがたさなど、普通に生きていたら気がつかないこと、また、自分自身の成長など、前向きになれるものを得られるのだと分かりました。考え方を少し変えることで、苦しいできごとも明るい気持ちで乗り越えられるのだと思いました。アッセンブリ・アワーでは、当時の学生の環境と先生の歩みについて知りました。受動的では、自分の学びたいことは学べず、自分で積極的に行動しなければ、歩みたい道へと進めない当時の環境は、今と異なる点も共通する点もあると思いました。限られた時間の中、自分の本当にやりたいことは何かをしっかりと考えることは、とても大事だと感じました。
感想2) キリスト教の少数の指導者だけでなく一般の信仰者までもがユダヤ教からの迫害を受けていた歴史があることを学び、そのことを思うと自分も迫害を受けたかのような、苦しさと落ち込んだ気持ちが混ざり合ったなんとも言えない気持ちになった。現代でもコロナ禍や震災、戦争や紛争(武力行使)など「悪いこと」「災い」と呼ぶべきことがいたるところで起こっている。そのようなことが神の計画ではなく、そのような中にあっても神はおられ、神の計画が中断されることはなく、道は開かれているということを学んだ。アッセンブリ・アワーでの鈴木先生のお話では、私たちの身近なところにも神はおられること、すなわち、一番よいタイミングでその時に一番よい「出会い」があり、先生は神に祈り行くべき道を定めていたことを知った。全体をとおして、どのような状況にあっても神はおられること、(自分にはあまり感じられなくても)道は常に開かれていることを学ぶことができた。