チャペルのひびき
言葉との出合いに向けて
チャペル・アッセンブリ・アワーは、新入生オリエンテーションに組み込まれるかたちでもたれました。始業講演においては、金山愛子先生(本学学長)が、リベラルアーツ教育の意義と敬和学園大学の目指す学びの目標について、丁寧に教えてくださいました。ご自身のアマースト大学留学時に受けられた、偏見から解き放たれるための多角的視点を培うこととしてのリベラルアーツ教育の神髄についてお話しくださった後に、ギリシャ時代に起点を持つリベラルアーツの歴史的発展をたどられつつ、今日におけるその可能性についても明らかにしてくださいました。新入生にとって、本学での学びのよき方向づけとなったことでしょう。それに先立つ開会礼拝においては、本学にとっては欠かせぬ時間であるにもかかわらず、多くの新入生にとってなじみの薄い礼拝の意味について考えてみました。礼拝とは、人として生きることの意味をご自身の生涯とあまたの言葉をとおして示してくださったイエス・キリストという方が紹介される場であること。また、神さまが、魂に命を与えてくださるご自身の言葉によってもてなしてくださるために、私たち一人ひとりを招いてくださる祝宴としての時であることをお伝えしました。(ドイツ語で礼拝を指すゴッテスディーンスト《Gottesdienst》には、「神さまのもてなし」という意味があります)。チャペル・アッセンブリ・アワーにおいても、多くの言葉が語られます。本学での学びの方向性を与えてくれるような、また末永く人生を支えてくれるようなたくさんのよき言葉と出合ってほしいと願っています。(下田尾 治郎)
学長講演「リベラルアーツの学びとディプロマポリシー」学長 金山愛子 先生
<参加学生の感想>
感想1) リベラルアーツは「人間の教育とは何か、自由に人にふさわしい教育」という、自由に生きていくという意味がある。自分の考えばかりが正しいと思わずに、物事を多角的な視点で見るようにし、相手の見方も取り入れることによって偏見からの自由を得られるということが分かった。認知的卓越性(何が真実かを知る)と人格的卓越性を得るということが自分のことだけでなく、世界や周りのことも考えられるようになれる人間になることが、リベラルアーツ教育が目指すものであることが分かった。「他者と出会う」ということは学ばされるということにとても感心しました。限られたコミュニティで動くのではなく、さまざまな人と出会い人生の糧となるような経験を今後もしていこうと思いました。
感想2) イザヤ書55章では、他人の話に耳を傾け、聞いたことに従うことで魂を得たり、渇いていれば水のところに来る、という一見普通のことかもしれないが、実はとても重要なことだと感じました。マタイによる福音書では、「心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くして、あなたの主である神を愛しなさい」、「隣人を自分のように愛しなさい」という言葉を高校の倫理の授業で聞いたことがあり、その時は何となく聞いていたが、あらためて聞くと、友だちと楽しく話しているという行動につながっているのかなと感じました。リベラルアーツはどの時代でも必要とされており、頭だけで学ぶだけでなく、外に出て学ぶサービスラーニングも行うことで実践するリベラルアーツをすることができるということが分かりました。自分は、この敬和学園大学での学習を通じて、英語の知識を学ぶだけではなく、短期・長期留学をして、日本人と外国人の理解の違いを学んだり、異文化交流を行っていきたいです。