チャペルのひびき
死者の思いを受けとめることの大切さ
チャペル・アワーは野澤幸宏先生(日本基督教団・栃尾教会牧師)が、「塩対応は神対応」とのタイトルのもと、マルコ福音書9章をテキストにメッセージをお届けくださいました。一見、厳しく、辛辣に聞こえる主イエスの言葉の中に、神の愛と深い御心がこもっていることを、「塩」という言葉に込められた聖書的な意味をお示しくださりながらお伝えくださいました。主イエスには、「あなたたちは地の塩」であるとの言葉があります。塩の一粒一粒は小さく、溶ければ見えなくなってしまうもの。しかし、塩は、料理の味を引き立たせると同時に、腐敗を防ぐという大事な性質をもっています。私たち一人ひとりは小さな存在ですが、愛の実践により社会に大切な味付けをすると共に、社会が悪しき方向へと向かうことを防ぐための大切な役割を与えられていることを心に留めたく思います。アッセンブリ・アワーでは、髙橋賢先生(村上市大須戸能保存会)をお迎えし、古典芸能の能に関するお話を伺うことができました。髙橋先生は、能という芸能の歴史的成り立ちについてご説明くださった後、「箙(えびら)」という演目の動画を通して、能という芸能の特徴とその奥深さについて、ご紹介くださいました。「箙」をはじめ能の多くは、複式夢幻能という、生者の夢の中に死者が現れ、その思いを語るという形式で演じられます。能は、言うに言われぬ思いを抱きながらこの世を去っていた死者のための鎮魂の芸能でもあるのです。夏はこの国にあっては、平和を願い祈る季節です。それは、自国、他国を問わず、また過去と現在を問わず、戦争により命を絶たれていった(また現に絶たれている)人々に思いに寄せることと不可分でありましょう。能を通して、いつしか、平和について思いをはせる貴重な時間ともなりました。(下田尾 治郎)
Ⅰ.チャペル・アワー
説教 「塩対応は神対応」 日本基督教団 栃尾教会牧師 野澤幸宏 先生
Ⅱ.アッセンブリ・アワー
講話 「新潟に息づく『能・狂言』文化について」 村上市大須戸能保存会会員 髙橋賢 先生
<参加学生の感想>
感想1) 「塩対応は神対応」と聞いて、その2つの言葉は反対の意味を持つのに、どういうことだろうと不思議に思っていた。しかし、野澤先生のお話を聞いて、塩対応は神対応の一部、または神対応になり得るものだと捉えた。塩対応とだけ聞くと冷たい印象があるが、塩という物質自体は生きていく上で必要不可欠なものだと気づかされた。例えば、塩分に体調が左右されることがあるし、料理でもそれの有無でかなり出来栄えが変わる。だから、塩味がある対応や言葉は、つまり優しさや思いやりが込められたものだと分かった。また、塩対応を単純にマイナスなものとして受け取ったとしても、そのような傷ついた経験があるからこそ、十分な対応や言葉をありがたいと感じるし、自分もそうしたいと考えるのだと思う。私も塩味の効いた神対応を心がけ、互いによい影響を与えられ、平和に過ごせる人間関係を築きたいと思った。
感想2) 「能・狂言」といった伝統文化は、存在は知っているけれど、実際に目にしたことはなく、また、そのような機会は少ないものだと思っています。能や狂言と聞くと、難しい内容で、初めて見る人には理解しにくいものだと思っていたけれども、紹介されたお話の内容は、現代の劇と変わりなくおもしろそうなものであると思いました。無形文化財は、人から人へと継いでいかなければならないものであり、長い間守っていくには、多くの人たちに伝えられる必要があるもので、人とのつながりによって保たれる財であると感じました。海外にも広まっていることを知り、日本の文化が世界に知られていることはすてきだと思う一方で、日本人である自分も日本の文化をもっと知っていかなければいけないと思いました。