チャペルのひびき

主イエスの眼差しのもとで

アッセンブリ・アワーでは、新発田中央地域包括センターの方々と、本学に隣接するグループホーム「富塚・のぞみの里」のホーム長、渡邊美穂先生が、「認知症」について、また認知症になられた方々を支えるために心に留めるべき大切な事柄について、パワーポイントや動画等を用いて、丁寧に解説してくださいました。認知症を正しく知ると共に、認知症になられた方々の心の風景を理解し、否定的にではなく、肯定的に接して差し上げるということが大事であることを学ぶことができました(このことは、認知症の方々に対するのみならず、全ての人々に対する基本の姿勢であるのかもしれません)。認知症は、私たちと無縁な事柄ではない。私たちもいつかは認知症になりうること。しかし、認知症になったとしても、それで人生が終わることはなく、新たな人生がそこから始まりうるということも教えられた幸いな時間となりました。それに先立つチャペルにおいては、ヨハネ福音書をテキストに、主イエスが私たちにとって「友となってくださる方」であることを学びました。私たちに寄り添い、私たちの存在を肯定し、喜びとしてくださる方。私たちが孤独にさいなまれている時、「私が共にいるよ」と言ってくださる方。私たちを喪失することを心の痛みとし、私たちを命がけで探し求めてくださる方。そのような方としての主イエスが紹介され、その方の眼差しのもとで、自身の存在を、また他者の存在を見つめ直す場が礼拝といってもよいのです。(下田尾 治郎)

Ⅰ.チャペル・アワー 
説教 「友となってくださる方」 宗教部長 下田尾治郎 先生

Ⅱ.アッセンブリ・アワー
講話 「認知症と共に」 新発田中央地域包括支援センター スタッフ、グループホーム富塚・のぞみの里ホーム長 渡邊美穂 先生

<参加学生の感想>
感想1) 下田尾先生の言う“最悪な入学”のお話を聞きました。友人の頭の中に自分の存在がいることがどれほどすばらしいことかを再確認させられました。「色のない世界が色づいた」と表現されていましたが、私も人生の中に友人の存在がなければ、きっとモノクロの世界だったと思います。今、私の人生が鮮やかなのは友人のおかげです。今までの出会い、またこれからの出会いを大切にしていきたいです。
感想2) 認知症というのは高齢になってからなる可能性があるものだと思っていたが、若い人でも認知症になるということを知って驚いた。もし将来認知症になってしまったら、もう生きることはできないのではないかというのが今までの考えだったが、周りの人が支えることで認知症でも十分楽しんで生きていけるということが分かった。一度認知症になったら治らないと思っていたが、治る可能性があることは初めて知った。今後どこかで認知症の人に出会ったら、叱ったりせずに一緒にできることを楽しんで安心感を得てもらえるような行動をしたい。
感想3) 今まで認知症とは人ごとのように接していたが、認知症は人ごとではなく、とても身近なものだということが分かった。認知症にはたくさんの種類があり、進行するにつれてどんどんいろいろなことが分からなくなるということがあるからこそ、認知症はとても身近なものであると思う。認知症の人と接する時は、怒るなどのパニックの原因になる行動を避け、その人の気持ちを考えた行動を心掛けることが大切だと分かった。これは認知症の人に対してだけでなく、どんな人と接する時でも心がけなければいけないと思う。人と関わる時は、人の気持ちを考えるという「思いやり」の心を持って関わることが大切だと分かった。