チャペルのひびき

大いなる肯定の愛

チャペル・アワーでは、榎本榮次先生(敬和学園理事長)が、「旧約聖書」の最初の文書「創世記」第1章に基づき、メッセージを語ってくださいました。ご自身が創造なさったこの世界に対して、神は「良し」との言葉をもって祝福されたことが、そこには記されています。しかし、この創世記が記されたのは、ユダヤの民族が亡国の憂き目に遭っていた時のこと。彼(女)らにとって、決してよいとは言えない、むしろ、混沌としたよからぬ時代の中で記された言葉なのです。そのような絶望的な状況の中で、ユダヤの民は、もう一度、神の言葉に立ち返ることを始めます。そして、絶望的な世界を貫いて差し込む希望の光、すべてが否定されるような中にあってすべてを「良きもの」として造り直してくださる神の愛を学び直していったのです。この創世記を承けて記された新約聖書「ヨハネ福音書」の冒頭には、闇の中に灯された希望の光として、イエスが到来されたことが証されています。イエスがなさったことは、世界を、また私たち一人ひとりを、大いなる肯定の愛をもって包んでくださることといってもよいのです。ご自身がこの世界のすべての否定的な部分を十字架において引き受けてくださることにより。このイエスにおいて示された神の愛により、絶望的な状況の中にあっても、私たちは希望をもって歩んでゆけるのです。榎本先生は、そのことを力強く教えてくださいました。(下田尾 治郎)

Ⅰ.チャペル・アワー 
説教 「神はそれで良しとされた」 理事長 榎本榮次 先生

<参加学生の感想>
感想1) 榎本先生の話を聞き、絶望の中にいる時にこそ、希望の光はすぐ近くにあるのだと思いました。生きている中で思い悩むことがたくさんあり、絶望の中で希望を見つけ出すことは困難なことであると思います。しかし、闇の中にいる自分の存在そのものをよしとし、向き合うことで希望の光は見えてくるのだと感じました。そして、前を向き歩み出すためには、自分自身で負の感情を断ち切ることが大切だと思います。しかし、自分だけでは乗り越えることができない困難が現れた時、周りを見渡せば、希望を与えてくれる存在が近くにあるということも忘れずに、希望が近くにあることを感じながら歩んでいきたいと思いました。
感想2) 人との付き合い方をどうするかで、その後が変わってくるんだなと感じました。私は、仲のいい人たちで固まりがちになってしまうことが多く、あまりよくないと思っていても、楽しいし楽だからそうなってしまっていました。しかし、それだと自分の成長につながらないし、学びも減っていくので、来年授業が変わったら、自分からいろんな人に声を掛けてみようと思いました。神の世界には、絶望を希望に変えることができるということでしたが、私たちが生きている世界は、聖書の教えによって、絶望を希望に変えることができると思いました。聖書は、教訓や教え方が載っており、神からのプレゼントだと思うので、何度も読んで、自分の中でしっかり理解し、生活していこうと思いました。
感想3) 今回のチャペル・アワーの榎本先生のお話を聞いて、「神は絶望を希望に変える力を持っている」という言葉に強い印象を受けました。確かに神が投げ掛ける言葉には、マイナスの方向ではなく、プラスの方向に働き掛ける言葉が多いように感じます。そして、時には人を助けるような働きを自らする場合もあります。そのような人の助けとなれるような言葉や行動をできるように、自身も気をつけていきたいと思いました。