誰かのために生きる(3代目学長 鈴木佳秀)

森を見ないで木を見る愚かさ[2014-01-27]

二人称の単数形と複数形が同一法文の中に混在している理由を解き明かすこと、それがわたくしに課せられた課題でした。その謎解きのために、相手に語りかける様式に注意を払ってきたのですが、それでは駄目だと思い知らされたのです。写経の効果は抜群でした。申命記の謎を解くのに、全体を見ないで部分だけを見ていたからです。「森を見ないで木を見る」かのように、全体の特徴を見ていないことに気付かされたのです。そこで、接写の距離にあったカメラ目線をぐっと引いて、遠くから森全体を眺めることにしました。
三人称表現の部分に注目すると、書物全体が見えてきたのです。そこで、組み立て構成を一覧表にして、それを壁に貼り眺めることにしたのです。何かがあるはずだと思いつつ、毎日眺めていると、全体はモーセが最後の日に語り尽くした言葉ではないか、とひらめいたのです。モーセの遺言だと確信しました。遺言として法を語り残すという枠組みを踏まえて、次にその枠の中にある組み立てに注意を向けたのです。遺言本体は、三つの大きなスピーチで構成されていました。その組み立てそれぞれに、特定の主題が振り分けられているのに、目を見張ることになったのです。
最初の部分は歴史の回顧で、エジプトを脱出してからヨルダン川を渡る直前までの旅程を、一人称複数形を随所に使いながら批判的に顧みています。イスラエルの民と共にモーセが「われわれ」という表現で歴史を告白しているのです。二番目が申命記法典の部分で、二人称様式で編集されています。三番目は、その法を守り行うことを前提に新たに契約を結ぶという内容で、二人称複数形がそこで意識的に使われていることも分かったのです。ひらめきで謎解きができるものか。戸惑いもありました。(鈴木 佳秀)

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