学長室だより

自分でも説明ができていない

申命記の文献学的考察という演習ですから、主題は申命記をめぐる問題に限定されます。学会発表もされた関根先生は独自の解釈を掲げておられたのですが、あるゼミのとき驚くようなことを言われたのです。申命記本文に関する未解決の問題があり、欧米の研究者も説明できず、謎として放置されてきたものでした。神から示された法(律法)をモーセがイスラエルの民に語り伝える、それが申命記の文脈ですが、使われている文体が一貫していないのです。ある場合には、聞き手であるイスラエルの民に「あなたは」と呼びかけているのに、突然「あなたがたは」に変わり、しかも「われわれ」という表現で、十戒や戒め、掟を神から授かったときの状況をモーセが語ることもあるのです。わたくしに託された研究書では、学説史を紹介しながら、こうしたテキストをどう説明するかに苦慮していたのです。問題のテキストを扱うゼミのとき、この著者の理解を紹介したのですが、関根正雄先生が「これはまだ自分でも説明ができていない」と言われたのです。
世界的に名の知られた関根先生でも、説明ができていないことがある。それは衝撃でした。大学で教えている研究者は、すべての問題に精通し、自分の解釈を掲げ、独自の立場を主張しているものと思い込んでいたからです。先生のその率直な言葉が心にしみ通りました。欧米の新しい申命記注解書では、その問題に触れないよう避けていることに気付いていたからです。(鈴木 佳秀)