学長室だより

2006年7月21日号

事務の職員からの連絡のあと、男子学生がひとり学長室にはいってきた。昨日の授業でのレポート講評のあと、自分の提出したレポートの内容を反省し、「悔しくなって」書き直してきました。受け取っていただけるでしょうか、ということであった。「文化・文学比較論」という講義である。ソポクレスの『オイディプス王』を扱っている。父王を殺し、生母を妻とするという神託を避けるために力を尽くしたが、気づいてみると、そして真実を追求してみると、その信託どおりの人生であったことが判明する。テーベの王位を他に譲り、目をくりぬき、自らを追放の身と処する。英雄的措置ではあるが、オイディプスの悲哀は消えない。
作品のなかには許しの痕跡はない。しかし、とこの学生は昨晩考えたという。観客の心にはこの悲哀の王への許しがある、と。「文学の勉強なんて、なんの得があるんだろう?と思ってました。ぼくの眠っていた可能性を引き出してくださり、ありがとうございます。」と書き添えてあった。人文学はひとの心を耕す学である。
事務方の報告で、この学生は今月中に留学のため渡米するのだという。“A”なる評価をつけて、そのレポートを、ただちに郵送した。(新井 明)