学長室だより
2006年度入学式式辞(新井明学長)

式辞を述べる新井学長
寒かった冬も過ぎ、この北越の地でも花の蕾が膨らんでまいりました。今日はここに190名の若者を迎えて、入学式を挙行しているのですが、大自然もこの行事を寿いでいるという感じがいたします。多くのご来賓の方々、皆さまご多忙の方々ですのに、西からも東からも、この場にお越しくださいまして、この寿ぎのできごとにお加わりいただけましたこと、心からの感謝を申し上げます。また、新しくこの学園にお子さま方をお送りになったご両親、ご関係の皆さま方にも、心からの感謝とお慶びを申し上げます。
さて、今ここで、入学を許可された190名の若者に申し上げるのですが、すでにご承知のとおり、本学はキリスト教主義の学園であります。キリスト教主義といっても、人類の古典と呼べる聖書そのものの精神を学んで、それを基礎とした人間観を身につけていただくことを大事とする学園であります。学問の知識はもちろんのこと、心の教育と体育にも重点を置く学園であります。それを全人教育といいます。「知」と「徳」と「体」の三つの面の成長を目途としております。そのことはあなた方自身の将来のためばかりか、日本文化の将来のためになるのであります。
あなた方は今ここにいる。キリスト教的な言い方が許されるならば、この世界の創造主なる神があなた方をここへと導いた。そのあなた方一人ひとりを私ども敬和学園大学が大切な人格として選んで、今日という日を迎えることが許されたのであります。
私ども敬和学園の教員・職員は全力を挙げてあなた方一人ひとりと向き合って、いっしょに育っていきたい。我々はこの小さな家庭的学園であなた方に同じ目線で向き合って、あなた方の喜びと苦しみを分かちあいたい。そして、あなた方に生まれながら備えられている貴い価値を引き出していきたい。その場合、偏差値などという尺度で人を切るような恥ずかしいことはいたしません。先日の卒業式で、卒業生代表が言ってくれた言葉を思い出します。「我々は信仰と希望と愛に生きてゆく、柔軟な心を持った人間として歩んでいきたい」という決意の言葉。それを聞いた私自身が、壇上で感動いたしました。敬和での4年は無駄ではなかったのです。
村野四郎という詩人がいました。「花」という作品があります。清らかな一輪の花を見て歌ったものです。「この花の けだかさを/ 生まれたままの美しさを/ いつまでも 心の中にもって/ 花のように/ 私たちは生きよう」
ここにいる190人の大事な一人ひとりに言う。何ものにも代えがたい大事な花を、その「生まれたままの美しさを」、この学園にいる間に、ますます美しく清めて、柔らかい心を持った人間に育っていっていただきたい。それこそがあなた方の、いや日本の、いや世界の、幸いにつながる一本の道なのです。
これで学長としての式辞を終えます。
2006年4月5日
敬和学園大学長 新井明









