学長室だより

2007年度卒業式式辞(新井明学長)

2007年度卒業式での新井明学長の式辞

2007年度卒業式での新井明学長の式辞

寒い冬でした。ときどき大学の自室を出て、ときどき雪のキャンパスを歩きました。雪をかぶった樹木たちを見たいのです。寒風に逆らって立つ欅(けやき)たち。天にむかって屹立するメタセコイヤ、黒松、桜。また群れをなしてしゃがんでいる椿(つばき)たち。寒中でもすでに蕾をつけている木々の姿に敬意を覚えます。
なかでも校庭の一隅に立つ数本のユリノキのことが気にかかり、自然とそちらに足が向きます。わたしが着任したその年の新入生たちから、入学記念にユリノキを一本ずつ植えてもらうことにしました。植樹式をいたしまして、「この木が育つように、諸君も育ってほしい」と祈ってまいりました。いままで木は5本となりました。ところが、学年によっては卒業記念に植樹をする学年が出るようになりまして、ユリノキの数はいまでは10本ちかくとなりました。ユリノキの小さな森ができつつあります。
木にも個性があります。同じ木であっても、よく育つ木もあれば、じっくり型の木もあります。根をおろしたその土が木各自の個性に合うかどうかで、育ち方が微妙に違ってきます。土との相性が悪く、枯れそうになる木もあります。担当の職員の方が土を変えたり、また水はけをよくするために、排水溝を掘ったりします。養生には手間ひまのかかるものです。すると、木はやがて気をとりもどし、また育ちはじめます。最初に植えた1本――皆さんの木より一年先輩の木――は、この初夏には、そろそろ白い花を付け始めるかもしれません。そう思いつつ、そう願いつつ、雪の中に立つユリノキを、ときどき仰ぎ見に行っておりました。
4年前の入学式で、わたしは敬和学園大学はキリスト教にもとづく「徳育」、それから「知育」「体育」の三面の育成を図る、と申しました。人間を、世にいうところの「偏差値」などというモノサシによって量ることなどしない。そのモノサシは人間の「知力」、それもその人間にそなわる「知力」の一部しか、量れません。人間には、生まれながらに授かった尊い価値がある。その価値を大事にして生きて行こうではないか。敬和学園は「神を敬い、人を愛す」こころで学生を育て、「神に仕え、人に仕える」ことのできる人格を生み出していきたい。そして人間らしい心をもった人間が一人でも多く育ってくれればありがたい、と語りました。そして自然にこの囲まれた阿賀北のこの環境のかなで、教員・職員の温かい思いやりを受けつつ育ってきてくれました。枯れようとする木もあった。われわれは土を変えたり、水はけを考えたり、別の肥料を与えたりして、工夫に工夫を重ねながら、今日を迎えることができました。いわば「愛の共同体」のなかで、皆さんは4年を送り、今日という日を迎えたのです。

本日卒業していく一人が昨年夏、「朝日新聞」の取材を受けて答えていました。「様々な経験を積み、大きな人間になりたい。」敬和は「学生、教員、事務の方、掃除のおばさんまで、みんな仲良し!」――わたしはその「掃除のおばさんまで」というところが気にいりまして、その新聞を「掃除のおばさん」なる方がたへ届けました。みな大笑い、大喜びでした。この学生には、敬和にたいする感謝と歓びの心があります。
先日、この3月一杯で退職される教員、職員の皆さんを囲んで、信濃川を見下ろすホテルで送別会をいたしました。本学の開学当初から労苦をともにしてくださった先生方。それに比べれば比較的に短い年月しか、共に過ごせなかった教員もいらっしゃる。その若いお1人が次のようなスピーチをされました。「教員も一人ひとりの学生に育てられていると痛感した。学生と双方向でやり取りしている中で、学生の変化を感じ取ることがあります。・・・不安そうな学生の顔が笑顔に変わっていくときに、わたし自身も大きく勉強したと思うのです。大学教員の仕事のスタートを敬和で過ごすことができたのは、幸運以外の何ものでもないと思います。」これも敬和にたいする感謝と歓びのこころであります。敬和にたいする感謝と歓びのこころ――その点では、さきほどの卒業生の一人と全く同じことを述べておられるわけであります。
あなたがたの入学のときに、わたしは言いました――わたしたちはあなたがたの脇にあって、同じ目線で、あなたがたが授かっている固有の価値を引き出させていただきたい。ただ、たんに高尚なること、難しいことを教え、授けるというのではなく、あなたがたの良き聞き手となって、われわれも共に育っていきたいのです。皆さんはこういう考えと、こういう心をもった教員たちに、また職員たちに囲まれて、ここで4年を過ごし、この学園をあとにするのです。敬和の小さな森に、あなたがたの心の故郷を感じつつ、巣立っていっていただきたい。
皆さんの入学のときは、敬和学園高等学校の合唱団に来ていただいて、お祝いにヘンデルの「メサイア」の一部を合唱していただきました。きょうはその後、結成された大学の合唱グループが、一般市民の皆さんにも参加していただき、石川美佐子先生の指揮で皆さんのために「ハレルヤ」を演奏してくださいます。「ハレルヤ」とは「主をほめたたえよ」という意味です。皆さん、人生の節目節目に「主をほめたたえよ」の祈りを憶えて、歩んでいかれますようにと、心からお祈りを申し上げます。

2008年3月19日
敬和学園大学長 新井明