学長室だより

2004年度卒業式式辞(新井明学長)

式辞を述べる新井学長

式辞を述べる新井学長

寒かった冬が過ぎまして、この阿賀北の地にも、ようやく春が戻ってまいりました。この聖籠町民会館で、こうして我が敬和学園大学の第11回卒業式を行うことのできますことは、喜ばしいかぎりです。あなたがた141名の卒業式のために、ここにはご来賓の方がたが遠近より、お越しくださっております。光栄の至りに存じます。衷心よりの感謝の意を表させていただきます。また、卒業生の保護者の皆さまも、若者たちの門出の時に、またその場に、こうして居合わせてくださって、喜びを分かち合っていただけますことを、学園の一員として、心よりの喜びといたします。

卒業生の皆さん、あなた方の、この大学での最後の一年は、新潟県下は多難の一年でありました。 7月13日に中越地方が集中豪雨に見舞われ、大水害が発生いたしました。 秋10月の23日には、ほぼ同じ地域で大震災が起こりました。大被害の実態を知るにつけ、7月にも、また10月にも、本学としても、すぐに災害への対応を決め、被害学生とそのご家庭には、それ相応のご援助をさせていただき、またボランティア活動を組織し、学生・教職員が学バスに乗って、何回か現地に向かいました。
各ボランティアセンターでは、関西方面からの方々にもお会いしました。10年前の阪神・淡路大震災で被災した際、日本各地から集まったボランティアの方々からお世話になったという感謝の心から、遠くこの新潟にまで来てくださり、尽力されている人々がおいででした。かつての日本の歴史の中で、このような愛の行為に、多数の方々が自発的に参画するというできごとはなかったのではないでしょうか。10年前の関西の大震災以来顕著となったできごとではないでしょうか。これはこの国の進歩です。
敬和のある学生が、こういうことを書いてきました。「ボランティアを何度か体験していうるうちに、人の役に立ちうるということに幸いを感じ、人のお世話や助けにつながる職業に就くことを考えるようになりました。大学にいる間に多くの教養を身につけ、将来社会に貢献したいと思います。」私はこれ以上の決意を、あなた方学生諸君に求めることはできません。ここに同席するわたしの同僚諸君諸氏も同じと思います。苦しいできごとが、深いこと―苦しみを分かち合うことの幸い―を教えてくれたのでありましょう。

皆さんが入学した時、当時の学長・北垣宗治先生は皆さんに、この大学は「リベラルアーツ」主義の教育の場であるというお話をなさったと思います。小さな専門・技術にのみ執着せず、広く(したがって、やや浅く、ということになるかもしれないが)、まず人類がこれまで残してきた貴重な、しかし今に生きる知識をあなた方に学んでもらい、それを基礎にこれからの大事な人生を生きてゆく。その過程で、専門知識を身につけてゆけばいい。その方が、少し時間がたってみれば、あるいは単なる即戦力としての技術よりも、社会への貢献度は深く、また豊かな結果を生むものなのであります。社会への貢献の過程で、聖書が説くところの、「隣人を愛する」という精神を生かしていっていただきたいのです。
先ほど、ある学生の告白をご紹介いたしました。ボランティア活動を通して「人の役に立つことの幸い」に気づき、大学にいるうちに「多くの教養を身につけ、将来社会に貢献したい」という言葉でした。この告白に接して、私はこの大学が教育の基本としてきた「神に仕え、人に仕える」ということを、この若者は生涯をかけて実践してくれる、そのことを期待していいのではないか、と思いました。このような学生を一人出しただけでも、この大学の存在価値はあったのです。しかし、実はここには、このことの分かる多数の若者がいる。私はそれを誇りに思って、あなた方をこの社会に送り出すものであります。生き行く分野を異にしても、人生全体をボランティア精神に立って生きていっていただきたいのです。
これをもって、私の送別の辞といたします。

2005年3月18日
敬和学園大学長 新井明