学長室だより
150年前の新潟港開港とキリスト教
先日のラジオ番組「敬和キャンパスレポ Vol.314」(エフエムしばた)では、この夏に佐渡で隠れキリシタンの痕跡をたどった国際文化学科の宇佐見さんや取材に同行した方々から、佐渡のキリシタンが江戸時代に弾圧され処刑されたとされるキリシタン塚や隠れキリシタンが所有していたと思われるマリア観音像のことなど、とても興味深いお話が聞けました。明治に入って開港(1869年)したばかりの新潟港は外国船が入り活気に満ちていて、外国人を招いて外国の事情や外国語を学ぶ必要が痛感されました。そこで招聘されたのがS. R.ブラウン宣教師(夫人とM. E. キダー宣教師が同伴)で、官立新潟英語学校で英語を教えていましたが、英語を教えるとどうしてもキリスト教を教える必要が出てきます。そこで、日曜日に自宅でバイブルクラスを持っていました。授業が巧みで人格者のブラウンを生徒は慕っていましたが、当時はまだキリシタン禁制の高札が撤去される前でしたので、間もなくブラウンは横浜への転勤を命じられます。新潟県側の表向きの解雇理由は、高給を支払うことが難しいということと、仏教徒による危害がおよぶ危険性があるとのことでした。しかし本当の理由は、キリスト教の感化力が強く、聖書の講義もしばしば行ったためだったようです。今の五千円札に女子英学塾(現 津田塾大学)創設者の津田梅子の肖像が載っていますが、梅子の父津田仙も幕末に新潟で通訳の仕事をしていました。岩倉使節団と共に渡米した梅子たち5人の少女の一人上田梯子は新潟でキダー女史から英語を習った人です。1875年には、エディンバラ医療宣教会からT. A. パーム宣教師が新潟にやってきます。パーム病院ほかで医療宣教にあたりました。パーム先生は眼科や風土病のツツガムシ病の発見と治療などにあたる名医だっただけでなく、多くの人をキリスト教信仰へ導きました。延べ約4万人を治療し、104人に洗礼を施したと言われています。そのパーム宣教師の伝道から生まれたのが東中通教会で、今年150周年を迎えられました。10月25日には東中通教会創立150年記念講演会がもたれ、講師は本学園の山田耕太理事長が務められます。パーム先生のお名前は本学園の体育館にも冠せられています。(金山愛子)

パーム病院(東北学院大学ウェブページより)










