学長室だより
長い夏を終えて
「暑さ寒さも彼岸まで」と言いますが、ようやく涼しくなったと同時に学生たちが夏休みを終えて、大学に戻ってきました。県外や海外に研修等で出かけた学生も大勢いましたが、みんなが安全を守られて元気に帰ってきてくれたことにまず、感謝したいと思います。私はこの夏、広島市長よりご案内いただき「広島市原爆死没者慰霊式並びに平和祈念式」(平和祈念式典)に参列してきました。被爆者や遺族ほか5万5000人の参列があったとのことです。海外からの来賓を、大勢のボランティアが案内していました。松井市長の「平和宣言」や小学生の「平和への誓い」、石破首相の追悼の辞はテレビや新聞でご覧のとおりですが、セミがしきりに鳴く厳しい暑さ、公園の周りで拡声器で訴えている人たちの声、大勢の人々が祈りを合わせる厳かな静けさなど、その場に身を置いて感じられることも多くありました。石破首相が、公園前にある「原爆犠牲国民学校教師と子どもの碑」に刻まれた、歌人・正田篠枝(しょうだ しのえ)さんの歌「太き骨は先生ならむ そのそばに 小さきあたまの骨 あつまれり」を最後に2度引用されました。先生は子どもたちを守ろうとしたかもしれませんが、爆心地付近では一瞬の出来事だったことでしょう。その朝、テレビでは、高齢の方々が核戦争は絶対にダメと後世に伝えるために、意を決して重い身体を引きずり、自身の辛く悲しい被爆体験を語られる様子を伝えていました。
前日は広島女学院大学での「8.6平和学習プログラム」に本学学生の藤塚さんが参加していたため、ごあいさつに伺い私も一部参加してきました。広島や関西から学生たちが集まり、被爆者や研究者の講演を聞いたり、平和記念公園で碑巡りをしたりするなど学生たちは熱心に学んでいました。広島女学院大学の関係の皆さまに心より感謝いたします。広島の町を歩きながら、前期のチャペルでの朗読劇「夏の空1945 あの日あの朝」で語られた水野潤一さんの「しずかに歩いてつかあさい」という言葉を噛み締めていました。
「今は 新しげな建物のえっと見える / この川辺りの町全部が / 昔は / 大けい一つの墓場でしたけん」
静かに歩かなければならない町がこの国にはいくつかあります。その場に身を置いてみないと分からないことがあります。若い人たちには教室の内外でさまざまなことを学び、感じ取ってほしいと思います。(金山愛子)

広島平和祈念碑

藤塚さんと金山学長、広島女学院大学のゲーンスチャペルにて










