学長室だより

人の初子を犠牲として献げたモレクの祭儀

パレスチナには、人の初子をモレクに献げる儀礼が存在していました。アブラハムのドラマは、結果的に人身御供をモレクに献げる儀礼への批判という意図を帯びています。異教と同じ犠牲を命じた神の意図ははかり難いものですが、アブラハムはそれをどのような気持で聞いたのでしょうか。それがキルケゴールの問いでもありました。
エルサレムの近くにベン・ヒノムという谷があり、異教の祭壇があったことが知られています。異教にすがった王たちは、そこで男女の子供を焼き尽くす捧げ物としてモレクに献げたのです(列王記下16章3節、21章6節)。隣国のモアブやフェニキアにも同じ儀礼がありました。
神の命令があったから初子をモレクに献げたのではありません。政治的緊急事態にモレクの助けを求め、初子を犠牲として献げる風習がこの地域にあったからです。人身御供の風習は様々な地域にみられますが、旧約聖書はそれを徹底的に排斥したのです(エレミヤ書7章31節、エゼキエル書23章37節~39節)。身代わりの動物で初子を贖うのは、異教の風習を排除するためで(申命記12章31節)、遊牧民の伝統を守ろうとしたからだと思われます。(鈴木 佳秀)