学長室だより

その後はどうなるの

大きな山を越えたという達成感がありました。しかしもう一つ越えなければならない大きな山が目の前に広がっています。就職をどうするかという問題でした。謎解きをしてもすぐに職場が提供されるわけではありません。指導教官の先生がたが、各方面に聞いてくださったようです。最初に紹介されたのはミネソタ大学でした。聞いてみると、宗教学部の責任者が日系アメリカ人というのはよかったのですが、日本の宗教について教えて欲しいという依頼でした。極寒の地でもあり、専門分野を教えられないということなので、穏やかにお断りしました。日本人学校で教えながら、職を探すという毎日が続きました。次に飛び込んできたのは、UCロングビーチからでした。責任者と面談をしました。ここでも日本人研究者であるわたくしに期待するのは、日本の仏教や禅、神道などの日本の宗教事情についての授業や演習を担当することでした。キリスト教の聖書について、日本人から教わるという発想が、そもそもない国だと実感しました。
そうこうしているうちに、UCバークレイの大学院(神学校)から名指しで要請がありました。クレアモントで課せられた十科目の試験を一年目ですべて突破したこともあり、三年が終わったときに、ファイ・ベータ・カッパを受賞したのです。そのことを聞き知ったバークレイの担当者が、旧約聖書学教授として直接わたくしを指名して来たのです。この賞がどのような意味を帯びているのか、全く知りませんでした。ミニッツを書きながら、家族会議を開かざるをえませんでした。家庭では日本語しか使わせなかったのですが、姉弟げんかが英語になっていたからです。このままなら彼らはアメリカ人になってしまう。それが夫婦の悩みでした。(鈴木 佳秀)