学長室だより

霜月に入りました

各地では霜が降りるようになり、文字どおり霜月に入りました。遠くの山々は薄い褐色に包まれてきました。街中では落ち葉が多くなりました。秋の日暮れ時は、西の空が燃えるような美しさになります。

敬和学園大学から見た秋の夕日

敬和学園大学から見た秋の夕日


 

先週25日火曜には今年第2回オープンカレッジがイクネスしばたで開催され、私が「忘れられない新発田の人-山川丙三郎-」と題して、新発田市出身の英文学者でダンテ研究者の山川丙三郎について講演しました。

オープンカレッジでは、新発田市出身の山川丙三郎について講演しました

オープンカレッジでは、新発田市出身の山川丙三郎について講演しました


 

『大日本地名辞典』全11巻を出版した地名学者の吉田東伍には、地元の阿賀野市(旧安田町)に記念館が建てられています。『大トルストイ全集』22巻を翻訳したロシア文学者の原久一郎には、地元の水原図書館に原久一郎コーナーがあります。『大漢和辞典』全15巻を出版した諸橋轍次には、地元の三条市(旧下田村)に記念館が建てられています。しかし、ダンテ『神曲』地獄編・浄火編・天堂編全三巻(岩波文庫)と『神曲』の元になった『新生』(岩波文庫)を原語のイタリア語から訳した山川丙三郎は、故郷の新発田では全く忘れられています。それぞれの業は雪国の人しかできない辛抱強さによる大偉業です。

昨年はダンテ没後700年でした。私は50年前の学生時代に山川訳のダンテ『神曲』を手にして心動かされました。32年前の本学開学時に聖籠・新発田に移り住み、その間に山川丙三郎が新発田市出身の人と知りました。16年前に山川丙三郎の直弟子で英文学者・シェリー研究家の石川重俊先生を知り、本学のチャペル・アッセンブリ・アワーで「上舘から天国へ」と題して講演していただきました。その前日には石川先生と上舘の山川の実家跡地を古老のご老人に聞いて確定しました。今回は山川に210通の手紙を書き送って研究支援した市井のダンテ研究者大賀寿吉に光を当てて山川を改めて紹介しました。(山田 耕太)

2006年にチャペル・アッセンブリ・アワーで講演された石川重俊先生

2006年にチャペル・アッセンブリ・アワーで講演された石川重俊先生