チャペルのひびき

霊の初穂としての人間

 後期のCAHが祝福のうちに始まりました。始業説教において学長先生より、「ローマの信徒への手紙」を通してメッセージをいただきました。人間のみならず、他の被造物もまた尊きものとして、神の深い愛の御心のうちに置かれており、その救いよりもれるものではないことを教えていただきました。ともすれば、人間は、他の被造物とは異なるより優れたものと思い込んでしまいます。しかし忘れてならぬことは、私たち人間もまた、土の塵より造られた被造物であること。そして、わたしたちの命は他の被造物の命の犠牲によってささえられていること(そこにキリストの十字架を重ね合わせることもできるでしょう)。謙虚な思いと悔い改めと感謝をもってそのことを受け止めつつ、「霊の初穂」として、他の被造物もまた豊かな実りを迎えることのできるよう(神の命の祝福にあずかることのできるよう)、祈り、労することが、神より委ねられた私たちの務めであるのでしょう。
 秋が深まりゆきます。皆さんの学びも深まりゆくことを願います。(下田尾 治郎)

Ⅰ.チャペル・アワー 
説  教 「 霊の初穂と被造物の救い 」 学長  鈴木 佳秀 先生
20140926チャペル・アッセンブリ・アワー

Ⅱ.アッセンブリ・アワー
2014年度前期エッセイ・コンテスト授賞式
2014年度前期資格取得奨励奨学金授与式
20140926チャペル・アッセンブリ・アワー

20140926チャペル・アッセンブリ・アワー

<参加学生の感想>
感想1)今回のCAHで学んだことは、「人間以外の動物にも宗教という観念がある」ということです。鈴木学長の話に出てきた母ゴリラとその子供の話ですが、死んだ後も子どもの遺骸を背負っていたというのを聞いて驚きました。自分たちが勝手にそう考えているだけで、本当はどんな動物にも魂はもちろん、宗教という概念はあるのだと思います。それを言葉として表現できるのは人間しかいないかもしれないけど、何らかの方法で動物の言葉を理解できれば、宗教という点だけでも動物と分かり合うことができるかもしれません。
感想2)チベット仏教のダライ・ラマ伝承の話は、よくテレビのニュースなどで聞いたことがあったが、次代のダライ・ラマに選ばれた物心がつくかつかないかぐらいの子どもに、「ダライ・ラマの生まれ変わりだ」と言っても本人は理解ができるのか、それまで育ててきた親は生まれ変わりだからと言われて簡単に離れることができるのか、疑問だらけである。私はチベット仏教の信者ではないが、そういった点で考えれば「ダライ・ラマ伝承制度の廃止」というのも一つの方法だと思う。
感想3)2014年度前期エッセイ・コンテスト授賞式の発表は、とても素晴らしく感動しました。毎回きちんと話を聴き、自分でその話をよく考えた結果だと思います。鈴木先生の話は、目の前にあることで全てが当たり前にあるのではなく、奇跡なのだと思いました。普通にご飯を食べられることに感謝して、「いただきます」の心を忘れずに、これからも生活していきたいと思います。
感想4)人間と動物は優劣なく尊い。人間も動物も植物も平等に命を与えられているはずです。しかし、私たちはさまざまな命をもらって生きることができています。多くの犠牲の上に私たちの命があります。ならば、多くの命に大きな感謝をして生きていくべきだと思います。また、与えられた命を全力で生き抜くことです。このことをすべての人に忘れてほしくありません。周りに感謝すること敬うことは、平和へ近づく第一歩だと思います。もっとお互いを思いあえる世界になるために、自分のできることを探して取り組みたいです。