チャペルのひびき

思い込み(偏見)より解き放たれること

スピーカーとして敬和学園高校教諭、斎藤正幸先生をお招きいたしました。偏見に満ちた食わず嫌いに留まるのではなく、実践的に深く関わってゆくことを通して、物事(世界)の一面的ではない多面的な様相を知ることができるのだということを、ご自身の体験を交えてお話しくださいました。本学の標榜する、リベラルアーツ教育、アクティブラーニングとも関係する示唆に満ちたお話だったと思います。アッセンブリ・アワーでは、部落解放同盟新潟県連合会委員長、長谷川均先生が、部落差別の現状について、データを用いながら、詳しくお伝えくださいました。不条理きわまりない差別と偏見によって今もなお深く傷ついている人々がいること。そのことを他人事として見て見ぬふりをするのは、差別に加担するのと同じであることを教えてくださいました。神の前にすべての人間を尊いとするキリスト教主義の大学に属するものとして、多くのことを問いかけられた時間でした。(下田尾 治郎)

Ⅰ.チャペル・アワー
説教「自分で食べて、自分で味わえ。」 敬和学園高等学校 教諭 齋藤 正幸 先生
20150515チャペル・アッセンブリ・アワー1

Ⅱ.アッセンブリ・アワー
講話「部落差別と人権について」 部落解放同盟新潟県連合会 長谷川 均 先生
20150515チャペル・アッセンブリ・アワー2

〈参加学生の感想〉
感想1)私が幼い頃、茄子を食わず嫌いしていたことを思い出しました。固定概念や偏見というものは誰でも考えてしまうことだと思いますが、それを自分から打ち破ることで多面的な見方をすることができます。非常に難しいことですが、生きていくうえでとても大切なことです。私はさくらんぼが好きではありません。もしかしたら外見だけで遠ざけているのかもしれないです。固定概念をなくす第一歩として今度さくらんぼを食べてみようと思います。
感想2)正幸先生の話は高校の礼拝を思いだし、懐かしくなりました。「物事は外見では分からない」「話を聞くことと自分の目で見て感じることは全然ちがう」という教訓は何度も言われてきたことだけど、やっぱりふとした時に自分の行動を振り返ってみると「はっ」としてしまう時があるので、心にしっかりとめておきたいです。
感想3)部落というものは昔のものであり、現在ではほとんどないと思っていました。身近に部落という言葉がないのでどうしても他人事のように感じていましたが、自分達の課題として差別を許さず自分のできることを探していきたいと思います。
感想4)私の地元の村は部落ではないが、住民は村のことを悪い意味ではなく、自然に「部落」と呼んでいた。だから私も何気なく「部落」という言葉を使っていたが、その言葉が深刻な差別問題と密接に結び付いているなんて思いもよらなかった。中学や高校でも部落差別の講話は何度かあったが、当時はやはり他人事だと思っていた。しかし、今回の講話を聞いて、部落差別問題はむしろ差別をする側の問題であると同時に、自分たちの問題であるのだと分かった。斎藤先生の講話では「見ためで判断しない」ということがポイントだったが、まさにそういう気持ちを持つことが大切なのではないだろうか。部落差別問題は、見ための問題ではないかもしれないが、『今まで差別してきた部落出身の人と話してみたらとても良い人だった』ということもあるかもしれない。だからこそ、差別されている側ではない人々全員が真剣にこの問題を考え、活動していくべきだ。