チャペルのひびき

人と人は分かり合うことができないのだろうか?

チャペル・アワーは、田中利光先生(共生社会学科教授)が『旧約聖書』に記された「バベルの塔」の物語を、それが書かれた時代背景や、古代オリエントの言語の意味などに触れられながら、説き明かしてくださいました。塔を天高く築き、神さまに取って代わらんとする人間の不遜な企ては、神によって打ち砕かれ、人々は互いにコミュニケーションができない状態へと落とされてゆきます。神がもたらしたものと描かれてはいますが、元をただせば、人間によって引き起こされた事態です。これは、現代にも通じる様相ともいってよいでしょう。それでは、人と人とは、しょせん、互いにわかり得ない存在なのでしょうか?先生は、そうではないことを、すなわち、人間は本質的に他者との間に分かち合おうとの性向を有する存在、微笑みをもって他者との間に友好的な関係を築かんとする存在であることを教えてくださいました。主イエスという方は、分かち合い、いたわり合い、ゆるし合うことを通して、人は人との間に絆を結ぶことのできることを、ご自身の姿を通して示してくださった方であることも心に留めたく思います。引き続き持たれた、アッセンブリ・アワーにおいては、坂井才子さんと瀬賀和也さん(新発田市健康推進課地域保健第1係)による、自殺予防の啓発講座の時間としてもたれました。自死とは、複合的な要因により、のっぴきならぬ状況に追い込まれてしまった人が選んでしまう道。本当は、どうにかできたかもしれないのに。私たちも陥りかねないその道を回避するためには、寄り添い、話を聞いてくれる信頼できる人が不可欠です。お2人は、私たちの周りにも信頼できる方々(窓口)がたくさんいてくださること、そして、私たち一人ひとりも、心に苦しみを抱えている友に手を差し伸べ、信頼できる方々に橋渡しのできる存在となりうることを、教えてくださいました。(下田尾 治郎)

Ⅰ.チャペル・アワー 
説教 「人間はなぜ分かり合えないのか」 教授 田中利光 先生

Ⅱ.アッセンブリ・アワー
講話 「ひとりじゃないよ 誰かに相談しよう ~私たちができること~」 新発田市健康推進課地域保健第1係 坂井才子 先生、瀬賀和也 先生

<参加学生の感想>
感想1) 人間が分かり合えないことの1つとして言葉の壁があり、言葉を修得することが理解への第一歩である。言葉を身につけたうえで、文化・慣習が分かるという田中先生がおっしゃった過程にとても共感した。人間は分かり合えると思う。言葉や価値観の違いはあれど、表情や思いやりのある行動は人間誰しも理解でき、受け取り、相手にも返すことができるのではないかと田中先生のお話を聞いて考えることができた。近年問題視されている自殺について再度考える機会ができた。自殺以外、自分の問題を解決する手段はないと思い込み、自殺を選択してしまうことが分かった。周囲に頼れる家族、友人がいても自殺してしまう人のために、自分は愛されているという感情を認識してもらえたらいいなと思った。心に余裕がないと、自分を責めることしかできない。そうなってしまうと改善することが難しくなるので、問題が深刻になる前に心に余裕がある時に解決したいと思った。家族や友人に相談が難しい場合は専門の相談窓口や電話相談があることを忘れないようにしたい。困った時相談してもよいのは当たり前と心に留めておきたい。
感想2) 田中利光先生が、人間が分かり合うことができない原因の1つが「言葉の壁」だとおっしゃっていて、確かにそうだなと思いました。また、国によって文化や習慣の違いがあることも原因の1つだと知って、人間が分かり合うためには、「お互いを理解したいと思う気持ち」が大切だと思いました。外国の言語や文化、習慣などを学ぶこともお互いを理解することにつながると田中先生もおっしゃっていたので、これから外国の言語や文化、習慣などをもっと学んでいきたいと思いました。また、人と接する時も相手を理解したいという気持ちを持つことを大切にしたいと思いました。
感想3)今回の授業では、命の大切さを改めて感じることができた。特に、自殺してしまうことは、自分の家族や友達を悲しませ、とてもむなしいものだと思った。また、自殺の大半の理由が差別やいじめ、誹謗中傷によるもので、こういったことを抱え込み、周りの人に相談できず死んでしまうケースが多いので、非常に悔しい最期だなと思った。そのため、私は自殺を減らすためには、苦しそうな人の異常に気づき声を掛けてあげることが大切だと思った。