チャペルのひびき

異なる光の下で、世界を読み直してゆくこと

アッセンブリ・アワーをご担当くださったのは、4月に本学に着任され、アジア近現代史、中国語を教えてくださっておられる土居智典先生(国際文化学科教授)でした。先生は、「ウクライナ戦争 真に寄り添うべきは」とのタイトルのもと、世界情勢を新たな光の下で見つめることを教えてくださいました。もちろん、主権国家のウクライナに攻め込んだロシア政府の侵略行為は許されるべきではありません。けれども、ウクライナに寄り添うとのキャッチフレーズのもと、ウクライナの国旗を掲げつつ、対ロシア軍事連合の一翼を担うかのような日本政府のスタンスは、果たして、「平和国家」としていかがなものか?祖国を侵略され、傷つき人命を奪われてゆくウクライナの人々に寄り添うのは当然のこと。しかし、ロシア国内にも、戦争に反対したがゆえに、不当な立場に追い込まれ、命の危険に晒されている人々がいることを、忘れてはならない。想像力を駆使して、そのような人々に寄り添ってゆくことも、大切なことではないかとの先生の問題提起には重いものがあります。リベラルアーツの目的の一つは、複眼的な思考を養うことを通して、ステレオタイプ的な視点から自由にされて、世界や社会を、またその中に住む人間を読み直してゆくこと。土居先生のご講話は、リベラルアーツの貴重なレッスンともいうべきものでした。いつ終わるとも知れぬこのむごたらしい戦争に終止符が打たれますよう、願ってやみません。(下田尾 治郎)

Ⅰ.チャペル・アワー 
説教 「この小さき者の一人にしたのは」 宗教部長 下田尾治郎 先生

Ⅱ.アッセンブリ・アワー
講話 「ウクライナ戦争 真に寄り添うべきは」 教授 土居智典 先生

<参加学生の感想>
感想1) 私は下田尾先生のお話の中で「遠くのものは愛せるが、近くのものは愛せない」と言う人のお話が印象に残りました。例えば、人類愛と言われると存分に身を捧げようと思えるが、身近な人間を見た時にとてもじゃないが愛そうとは思えないという言葉を聞いた時に少し共感しました。私も人類愛といわれると、とてもすばらしいと思います。ただ、いざ周りの人全て愛そうと思うとそれはできないと思ってしまいます。人は醜く、愚かであると思っているからです。しかし、先生のお話の中でイエス・キリストの存在を知ることが大切だと分かりました。イエスの生き方、人をいかに愛したかを知ることで、私たちも人を心から愛せるようになるのではないかと感じました。私は今までキリスト教に全く触れてこなかったのでイエスについてはほぼ知らないと言えます。イエスについてこれからもっと学び、人を愛せる、そして平和を心から祈れる人になりたいです。
感想2) 報道されるもののイメージが強く、その国の人はそうだと思い込んでしまうのかもしれない。だがロシアから徴兵を免れるために亡命者が70万人もいたり、一概に戦争に賛成し参加している人が多いわけでもない。亡命者を受け入れない国とそうでない国があるように、受け入れる側にも事情があるし優しさだけでは乗り越えられないものがあるのも事実。だからこそ自分自身はどうありたいのか、受け入れるのか拒むのか、また得た情報から「なぜ」という疑問を持って知っていくことが大事だと思った。無知ほど怖いものはないと思う。