チャペルのひびき
歴史を身近に感じるために
先週のアッセンブリ・アワーは、ロサ・オムラティグ先生(本学准教授)がご担当くださり、歴史フィクションの性格について教えてくださいました。歴史フィクションは、歴史を作者独自のフィルターを通して解釈し、想像力をもって再構成することによって創造されていったものであり、そこには含むことのできない事柄が多く存在する。しかしそれにもかかわらず、そのジャンルを通して、読む者をして、当時の歴史に思いを馳せ、その時代の状況や人々を身近に感じさせることにおいては、かけがえのないジャンルであり、是非、そのような書物を手にとって欲しいとのことでした。チャペル・アワーにおいては、谷川俊太郎の「生きる」という詩のフレーズ「隠された悪を拒むこと」と、「主の祈り」の「こころみにあわせず悪より救い出したまえ」との一節を結び合わせることにより、知らず知らずのうちに自分が望まぬ悪へと傾斜してゆかぬために大切なこと、すなわち怒りに正しく対処することについて、他の聖書の箇所にも触れつつ、共に学んでゆきました。愛と表裏一体である神の怒りとは異なり、人間の怒りは憎しみや復讐へと変質してしまう。それゆえに、大切なことは、怒りを神に委ねること。また、怒りと愛を一つに結ばれた主イエスに倣って歩むことなのでしょう。(下田尾 治郎)
Ⅰ.チャペル・アワー
説教 「善をもって悪に勝つこと」 宗教部長 下田尾治郎 先生

Ⅱ.アッセンブリ・アワー
講演 「修道女フィデルマシリーズ:歴史のフィクションを読む」 准教授 ロサ・オムラティグ 先生

<参加学生の感想>
感想1)今回の聖書に書かれている「迫害する人のために祝福を祈りなさい」という文を読んで、善でいることの大切さを知れたと思います。人から向けられた悪意にはより強い悪意で返してしまいそうになりますが、そうするのではなく、常に善であり祝福する心を持つべきなのだと学びました。人同士で憎み合ったり呪い合ったりすることが多いですが、平和であることを望みながら祈る「善をもって悪に勝つ」という考え方を忘れずにいようと思います。
感想2)オムラティグ先生のお話面白かったです。歴史でも何でもすべて表現するわけにはいかないから物語にする上で情報の取捨選択が行われる。現実は無限大だが物語は有限。至極当然の道理ですよね。紙とインクはタダじゃないので。歴史を書くためには解釈が必要?全くその通りだと思います。本来、後を生きる私たちに分かるのは事実だけです。何が起きたのか、残された記録から読み取る他ありません。それから過去の人々の心情を推察することは可能ですが、それだって解釈の1つでしかありませんからね。当時の人々がどう思ったのかはその当時の人々にしか分からないのです。歴史の恐ろしいところですね。でも解釈というのは身勝手なばかりではないんですよ。言ってしまえば、物事を納得できる形で自分の中に落とし込む作業ですからね。解釈に助けられた人も多いと思います。聖書なんかその最たる例でしょう。大切なのは「それがすべてではないこと」を心に留めておくことです。








