チャペルのひびき
根を張りつつ、生きること
チャペル・アッセンブリ・アワーは、植樹礼拝(植樹式)として守りました。本学では、毎年、一年のこの時期に、新入生のために若木を植樹いたします。新入生一人ひとりが、植えられた若木を自分たちの木として、その成長を、それぞれの成長に重ねてほしいとの願いからです。実際、古来より多くの人が、木と自分たちを重ね合わせてまいりました。テキストとして与えられた詩篇1編の詩人は、神の言葉に日ごとに親しんで生きる人を、流れのほとりに植えられた木にたとえ、そのような人には、しかるべき時に豊かな実りを結ぶことのできる確かな将来が備えられていることを語ります。
その詩の中では明示されていませんが、そのような人(木)が大きく成長できるのは、神さまの愛の言葉に養われつつ、深く根を張ることができるから。根を張りつつ生きること、それは、神さまの愛に対して、また、世界の行く末に対して、また自分の人生に対して「根源的な信頼」を抱きつつ生きることと言えます。その根源的信頼のゆえに、眼前に広がる世界が悲劇的様相を呈していようとも、また自分の人生の未来にいかに悲観的な影が落とされていようとも、私たちは希望を持って、前に進むことができるのです。宗教改革者マルティン・ルターが語ったと伝えられる「明日、世界が滅びるといえども、私はリンゴの木を植える」との言葉は、「根源的な信頼」を持って生きる者の姿を描いているともいえるでしょう。
敬和学園大学がキリスト教教育の要として位置づけているチャペル・アッセンブリ・アワーの目的の一つは、希望と志をもって歩みだすための根源的な信頼を養うことにあるといってもよいのです。(下田尾 治郎)
Ⅰ.チャペル・アワー
説教 「木が教えてくれること」 宗教部長 下田尾治郎 先生
Ⅱ.アッセンブリ・アワー
入学記念樹植樹式
<参加学生の感想>
感想1)今日は植樹式が行われた。まず、昨年度は天候が悪くこのような式ができなかったということを聞いて、今年度、今日のような天気のよい日に植樹式ができたことが非常にうれしかった。桜の木を2本植えたが、私はそれらの木を、礼拝の時にお話があったように自分の木として愛し、そうすることを通して隣人を愛するとはどういうことなのかについて考えたい。また、1年生より2年生、2年生より3年生、3年生より4年生、4年生より卒業後というように、自分という木の根を学年が上がるにつれてより力強く張ることができるように、常に新しいことに挑戦し続けたい。
感想2)今日の授業を受けるまでは、植樹をする理由も分からず、正直あまり乗り気ではなかったけど、先生の説教を聞いて、木のキリスト教上、宗教上での意味が分かり、キリスト教の中でもとても大切なもので、神的な意味があると知れました。木を、私たち人間に例えて、深く根を張る、神の言葉に耳を傾けた時、私たちは成長することができるという言葉が印象に残りました。これから、自分も深く強く根を張ることで、成長していきたいと思いました。
感想3)聖書の詩編1編1~6節の木ともみ殻の例えは、ただの安直な比喩ではないことを知ることができました。神への信頼という根を張るというのは、とてもすばらしいことだと感じます。私が生まれた時、祖父母が梅の木を植えてくれました。家から見える鮮やかな花に毎年元気をもらっていましたが、今日のお話を聞いて、その梅の木により深いものを感じました。私も桜の木のように強く根を張り、生きていきたいと思います。