誰かのために生きる(3代目学長 鈴木佳秀)

大地とわれわれの間[2009-09-04]

犯人不明の殺害遺体が見つかった場合、人々は呪いが到来したと受け止めたのは、罪なき血を大地が飲み込んだと理解したからです(創世記4章10節)。大地が呪われてしまうと地の実りも呪われたものとなる、それが古代社会の人々の感性でした。
古代メソポタミアや古代ギリシアの人々にとって、大地は女神でした。豊かな耕地は母胎と見なされていたのです。耕作地に生え出でる穀物、オリーブや葡萄、イチジク等が実をつけるのは、女神による出産の結果でした。穀物や果実等の収穫の一部を農耕地に残し、大地の女神に対する感謝の捧げ物としたことは儀礼行為として説明されています。
唯一神教の古代イスラエルでは、地母神の存在を容認せず、大地を命の源なる女神とはみなしませんでした。穀物を刈り取るときや、葡萄、オリーブ、イチジク等を取り入れるとき、一束を忘れても畑に取りに戻るな、果実のすべてを果樹から摘み尽くすなと命じていますが(申命記24章19節~21節)、地母神への捧げ物としてではなく、それらを寄留者、孤児、寡婦のものとしなさいと命じている点が顕著です。
収穫に対する感謝の表し方はそれぞれ違っていますが、大地を穢す行為は神を穢す行為だと見ていたのは同じです。(鈴木 佳秀)

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