学長室だより
『空が、赤く、焼けて』
今日は『空が、赤く、焼けて』は私の高校の恩師奥田貞子先生の手記をご紹介したいと思います。高校での朝の礼拝の当番が回ってくると奥田先生は決まって、広島に原爆が投下された直後に、行方が分からなくなっていた甥と姪を探し回った8日間に出会った子どもたちとその死を書き留めた手記を読んでくれました。小さな山の中の学校の朝礼で、淡々と古い大学ノートを読む先生。被爆地の胸をえぐられる話の悲惨さに涙する高校生たち。この話を聞いた私の友人がそれを家で話し、そのお父上が手書きのノートを先生から借りて、ワープロに打ち込み本にされました。泣きながら原稿を打ち込んだそうです。それが『ほの暗い灯心を消すことなく』として自費出版されたのが1979年。再版を経て2015年に『空が、赤く、焼けて』と改題されて小学館から出版され、今年文庫本となりました。奥田先生は被爆者健康手帳を持っていました。原爆が落とされた朝、瀬戸内海の島の病院で注射を打ってもらっていたそうで、ピカっと光り、その後首筋がひりひりすると思ったら、ちょうど割れたガラス窓と同じ形のやけどが首筋にできていたという話や、薬局を営んでいる叔父さんが毎日ビタミン剤を注射してくれていて、それがよかったのかもしれないという話を聞きました。

奥田貞子(著)『空が、赤く、焼けて』小学館文庫
今年のチャペル・アッセンブリ・アワーでは、新潟YWCA会長の横山由美子先生から沖縄戦について、新潟県原爆被害者の会 事務局代表で元敬和学園高校教諭の西澤慶子先生から広島の被爆者二世としての思いとご両親から聞いた話をお聞きしました。豊栄で活動される演劇くらぶ「葛の葉」の皆さんからは、1945年8月6日をつづったさまざまな資料の朗読劇「夏の空 1945年あの日あの時」を公演していただきました。戦後80年だから、戦争や平和を取り上げるのではありません。世界が戦争の準備をする中、戦争や原爆を経験した人々が非戦、核廃絶を叫び続けてくださったおかげで日本は何とか平和を維持してきました。その思いを継ぐためです。
昨年日本被団協(日本原水爆被害者団体協議会)がノーベル平和賞を受賞しました。ノルウェー・ノーベル委員会は、その授賞理由に、80年近くの間、戦争で核兵器は使用されてこなかったことの背景に、日本被団協やその他の被爆者の代表者らによる並外れた努力があったと認め、核のタブーの確立に大きく貢献したことを挙げています。そして、いつの日か、歴史の証人としての被爆者がいなくなった日に、日本の新しい世代が「記憶を残すという強い文化と継続的な取り組み」により被爆者の経験とメッセージを継承し、世界中の人々を刺激し、教育している。それによって彼らは、核のタブーを維持することに貢献していると言います(朝日新聞2024年10月11日Web版










