学長室だより

新入学生記念の植樹に因んで

聖書では、樹木は人との深い関わりに於いて理解されている。エデンの園の「命の木」「善悪を知る木」(創世記2章9節)は、堕罪をめぐり人の命や死と深い関わりを持つ。救世主の誕生はエッサイの根から萌え出ずる若枝に準えられているし(イザヤ書11章1節以下)、からし種から大木に成長する神の国のたとえも(マタイ福音書13章31~32節)有名である。
敵の城砦を攻める際に、樹木を人にたとえ、むやみに伐採するなと旧約聖書は命じた(申命記20章19節以下)。他方、異教の偶像である女神アシェラ像は木の柱で、それを祭壇の脇に立てるな、焼き捨てよと警告している(申命記16章21節、12章3節)。十字架は呪いとされたが(申命記21章23節)、イエスは命の象徴となった。樹木は人の生死を暗示してきたのである。
パレスチナ一帯ははげ山に近いが、かつてはレバノン杉の樹海であった(サムエル記下18章8節)。住宅や薪のため伐採し続け、人は環境まで変えてしまった。紀元前8千年紀サハラは密林であったが、地球乾燥化の波がそこを砂漠に変えた。メソポタミアやパレスチナも同じ経緯を辿ったが、樹木を伐採することでそれを促進させ、命の世界を削る結果となったことは事実である。(鈴木 佳秀)