チャペルのひびき
分からないから、始める
「神さまのことが分かったので、信仰に入ったのですか?」と訊かれると、「いや、分からなかったので、入ったんですよ」と答えることがある。分からないと言って課題を投げ出す人は多いけれど、むしろ、分からない時にこそ真剣な探究が始まるのではないか。今は分からなくても、後になって分かるということがある。答えを求めて聖書を読む人を間違いだとは言わないが、聖書はむしろ私たちに問いを与える。聖書は読者に、生き方を問いかける。「神と人と共に生きよ」という聖書のメッセージは、私たちに対する根本的な問いかけであり、そして同時に、誠実に応答する者に対する答えでもあるのだ。(大澤 秀夫)
Ⅰ.チャペル・アワー
説 教 「 信仰に生きるとは 」 学長 鈴木 佳秀 先生
公 演 キリスト教音楽の受講者によるコーラス KEIWA Choir
参加学生の感想
感想1)キリスト教音楽の受講者によるコーラスでは、受講者の方が堂々として歌っていて、とてもよかったです。また、キリスト教の音楽は、1曲1曲意味があることが分かりました。しかしこれは聞き手によって解釈が違うものだと思います。私はキリスト教の音楽は詳しくありませんが、とてもキレイでした。
感想2)学長先生の話では、私が体験したことのないことを語ってくださいました。必死で人の思想を理解しようと勉強していたと聞いて、思想を語る学生はいないなと思いました。聖書をそのまま噛み砕くということから問題提起をして読むに変わっていったとおっしゃられて、私はまさに今、受け取るだけの生活をしていました。これから変わるチャンスだと思うので、この説教をきっかけに変われるように挑戦してみようと思いました。
感想3)今日は、鈴木学長の半生についての話を聞いた。大戦後すぐという時代背景もあって苦悩の多い学生時代だということが伝わってきた。そのような中で学長が出した苦悩に対する答えは「何事にも関心と意欲をもって立ち向かうこと」と「あまり力みすぎない」というものだった。これはどの時代の若者にも通用するものだと私は思う。今、私はさまざまな壁にぶつかり、疲れ、自分を失いかけている。そんな私にとって学長の出した答え、主に後者の答えは身に沁みる思いがした。あまり力みすぎず、それでいて意欲を失わずに生きていきたい。
感想4)学長先生のお話で、信仰の道に生きるとはどういうことかということを考えました。信仰とは自分の知識や力で理解することではなく、語りかけられたことを素直に受け取ること。頭だけで理解するものではないとお話されていました。自分の独りよがりではなく聖書に書いてあるように行動すること、受け取ったものに従うことが大切なのである。