チャペルのひびき

違いを見分ける目をもつこと

藤野豊先生がハンセン病関係のお仕事で韓国に出張された際にお知りになられた対照的な二つの施設についてご紹介くださいました。その中でもアメリカの宣教師によって建てられた施設を担う人々の、差別に苦しめられた人々に迫害をもろともせずに寄り添う姿勢に、(またインドネシアにあっては宗教的には圧倒的に少数派であるにもかかわらず、病める人々に仕え続けるキリスト教主義の施設の働きにも)イエスの語られた「地の塩」のような働きを感じられたとのお話は、私たちに宗教の持つ最良の部分を改めて示してくれたように思います。
それとは対照的に、アッセンブリ・アワーにおいて、松永堡智先生は(新津福音キリスト教会牧師)は、宗教に似て非なるものとしてのカルト宗教の特徴と恐ろしさについて、またそれを見極める方法について教えてくださいました。人々の心を支配し縛り続けるカルト宗教とは異なり、宗教の本来的な特質とは、人々の心を愛に向かって解き放つ(自由にする)ところにあるといってもよいと思います。「地の塩」として働かれた人々は、後者に属する人々であるといってもよいでしょう。宗教は怖いものとして一緒くたに敬遠するのではなく、違いを見分ける目を養ってもらいたいと願います。(下田尾 治郎)

Ⅰ.チャペル・アワー 
説教 「 麗水から小鹿島へ 韓国で考えた“地の塩”」 教授 藤野豊 先生
20160520チャペル・アッセンブリ・アワー1

Ⅱ.アッセンブリ・アワー
講話 「確認を絶えず怠らず」 新津福音キリスト教会 牧師 松永堡智 先生
20160520チャペル・アッセンブリ・アワー2

<参加学生の感想>
感想1) 藤野先生の韓国でのお話は考えさせられることが多かった。もともと人間の自分勝手さと恐怖心は他の人の気持ちや状況を思い至ることをできなくするのでしょうか。その中で果敢にも本来人間としてあらねばならない姿として生きるにはどうすればよいのか。キリスト教の教えを基に造られた麗水(ヨセ)のアイヨ園やインドネシアの病院のあり方はイエスさまの教えを道しるべに私たちはどのように他の人と平等な人間として共に歩むことができるのかを問いかけていると思いました。
感想2) 韓国の愛養園の人たちは朝鮮総督府の反対の目を受けながらも病気の人々を平等に扱い、またインドネシアのスマトラ島では大部分の人がイスラム教徒なのに対し少数のキリスト教徒の人が病院を建設していて、同じ人間として平等に共に生きることが大切だと思いました。
感想3) 高齢者への詐欺にしても若者のカルト宗教への参加信仰にしても周りのサポートがあれば回避できるものだと思います。松永先生が話されたように、見分ける力、しっかりと確認することを実践すれば被害は減るはずです。
感想4)松永先生のカルト宗教の話は恐ろしいと思いました。人の弱みにつけこみ巧妙な手口は許しがたいことです。間違った宗教の恐ろしさを思い知った気がしました。若い純粋な人たちをそのような恐ろしい道にかかわらないようにしなくてはならないと強く思いました。