学長室だより

2026年度入学式式辞(金山愛子学長)

式辞を述べる金山学長

 

聖書 マルコによる福音書12章28-31節

28彼らの議論を聞いていた一人の律法学者が進み出、イエスが立派にお答えになったのを見て、尋ねた。「あらゆる掟のうちで、どれが第一でしょうか。」 29イエスはお答えになった。「第一の掟は、これである。『イスラエルよ、聞け、わたしたちの神である主は、唯一の主である。 30心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くし、力を尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。』 31第二の掟は、これである。『隣人を自分のように愛しなさい。』この二つにまさる掟はほかにない。」

新入生の皆さん、敬和学園大学ご入学おめでとうございます。これまでお子さまを支えてこられたご家族や関係者の皆さまにもお祝い申し上げます。こうして、新発田市市民文化会館をお貸しいただいて、敬和学園大学を地域の宝としていつも支えてくださいます渡邉副市長さまはじめご来賓の皆さまよりご臨席を賜り、お祝いいただきまして厚く御礼申し上げます。自然豊かで歴史ある新発田市、聖籠町で大学生活を始めようとされる皆さんを、大学関係者一同歓迎いたします。
 
敬和学園大学の名前は、先ほど読まれました聖書の言葉から取られています。「神を愛し、隣人を愛する」というキリスト教でもっとも重要な掟を、敬和学園高校初代校長の太田俊雄は「神を敬い、人と和す」と表現し、「敬和」と名づけました。この聖句から敬和学園大学では「神を敬い、人に仕える」を建学の精神として掲げ、校歌でもそのように歌っています。この「神の戒めは、人間が神の御前で人間として生きることを許し、生の流れが自由に流れて行くことを許す」とドイツの神学者ディートリヒ・ボンヘッファーは言います。(1)
敬和学園大学は、この精神に基づき、学生一人ひとりを神に愛された存在としてその尊厳を守り、共に学ぼうとする大学です。皆さんには、これから自分の知識と能力、可能性を広げ、人間としてさらに大きく成長し、他者や社会のために貢献する人となることを目指してほしいと思います。

本年4月、敬和学園大学は人文学部に国際教養学科を立ち上げました。皆さんはその第一期生となります。開学以来リベラルアーツ教育を貫いてきた敬和学園大学では、今一度その原点に立ち返り、当たり前を疑うこと、自分自身の問いを持つこと、分野の異なる学問により得た知識を融合させて多角的に考えることを教育の基盤に据えます。4年間という比較的ゆったりとした大学生活の中で、たくさんの言葉や人と出会い、真理を探究し、将来に向かっての準備をしてほしいと願います。
新学科の開設にあたり、カリキュラムを設計する過程で、国際教養学科の学びを通して何ができるようになるか、どういう力や態度を身につけてもらいたいかを話し合ってきました。6つのコースから自分のやりたい学びを探し出し、自らの関心や将来設計に合わせて専門性を深めながら、分野を超えた横断的で多様な学びができるように設計し、より確かな未来につながる資格技術も充実させました。さらに、学内外での実践的な活動によって知識から経験へ、経験から知識へという循環の中で学び、知識と実践力がしっかりと結びついた、地に足のついた人を育成することを目標としています。

ここで、リベラルアーツの学びとはどういうものか、私自身の体験を一例として紹介します。私はアメリカの大学でリベラルアーツ教育を受けたのですが、語学の猛特訓があり、どの授業でも多くの本を読み、ディスカッションやレポート執筆が課せられました。提出したレポートには、必ず先生がコメントを書いて返してくださいました。2年間だけでも集中的な学びを続けて、私が専攻した英文学の代表的な作品は読めるようなカリキュラムになっていましたし、ダンスや音楽の授業もとることができました。英文学を学びながら西洋古典学を同じように深く学ぶことができたのは、リベラルアーツカレッジだったからです。この大学で学んだ「一方・・・、他方・・・」と複眼的に考えることや、「One way or another (一つの方法がかなわなければ、別の方法で)」という柔軟で粘り強い考え方が私の中で深く印象づけられました。

しかし振り返ると、このアメリカでのリベラルアーツ教育の前に、その基礎教育を日本でも受けていたことに気づきます。それは高校時代に、「勉強するのは真理を探究するためだ。そのためには考えなくてはいけない」と真剣に語り続けた先生の言葉です。そのおかげで、大学で学ぶうちに、「本当のところどうなんだろう?」「もともとはどうなっていたのだろう?」と疑い、問いを持つようになりました。
この高校で読んだ本に、内村鑑三の『後世への最大遺物』という本があります。その中にハーシェルという有名な天文学者が20歳のころに友達に語ったという言葉が紹介されています。「わが愛する友よ、われわれが死ぬときには、われわれが生まれたときより世の中を少しなりともよくして往こうではないか」という言葉です。(2)
私が生まれる前と今とを比べて、世の中はよくなっているのだろうかと立ち止まって考えてみました。医学の進歩により、医療・健康の面では格段によくなり平均寿命も延びました。しかし施設や病院のベッドで寝たきりになっている方が昔より増えたかもしれません。衛生面や福祉、治安など生活の質はよくなったと思います。教育はどうでしょう。人権意識が高まりましたが、差別や無意識の偏見に苦しむ人々がいます。情報・通信分野は想像もできないほど進みました。他方で、気候変動の問題があります。地球温暖化により自然災害は激甚化しています。日本は戦後80年何とか戦争をしないできましたが、私が生まれた時よりも軍備が拡大し、こうしている今もアメリカやイスラエルとイランは戦いの最中にあります。皆さんはどうでしょうか?こうして考えるとご自身の人生が日本や世界の歴史と切り離せないことが分かります。皆さんの世代の出生数は約109万人ですが、昨年の出生数は70万5千人でした。なぜ少子化がこうも急速に進んだのか、どうしたら若者はふるさとに戻ってきてがんばってくれるのか。私自身、考えなければなりません。皆さんはどう考えるのか。考えることはたくさんあります。

もう一つのリベラルアーツの基礎教育は、大学時代に他大学の先生から教えていただいたものです。この春先に私は大学時代の恩師、宮田光雄先生から手紙を受け取りました。先生は、地域の大学生を集めて毎週読書会や聖書研究会を開き、ご自宅の隣に小さな学生寮を建て、私も1年間住まわせていただきました。97歳の今も研究を続けておられるドイツの政治思想史、神学思想史の研究者です。驚いたことに、その手紙に、2000年に出された敬和学園大学の初代学長の北垣宗治先生からの宮田先生へのお手紙を同封してくださっていました。

大学時代の読書会などで、先生はドイツ語でよく「ザッハリッヒ」という言葉を使っておられました。「ザッヘ」とは「事柄」「対象」を意味します。「ザッハリッヒ」とは「即物的」「客観的」「事実に即した」という形容詞です。今考えると、自分自身の思い込みや偏見なしに、その事柄や対象をありのままに捉えようとする態度の重要性を繰り返し教えていただいたように思います。それは、リベラルアーツの精神に通底しているように思います。
宮田先生が手紙に入れてくださった一枚のコピーの見出しに、「未来の世代のために」とありました。その中に、我々の世代が「最終的な責任を負う問いは、来るべき世代がどのようにして生き続けるべきかということである」という言葉があります。(3)「来るべき世代」「未来の世代」という言葉が繰り返されます。私たちには、皆さんの世代がよく生き続けることができるために、研究者として、教師として共に学んでいく使命がある。そのような思いを込めて先生は送ってくださったのかと思います。

大学は学ぼうという意志を持った人々の共同体です。では学ぶとはどういうことなのか?宮城教育大学の学長を務めた林竹二というギリシア哲学研究者は、「学ぶということは、覚えこむこととは全くちがうことだ。・・・一片の知識が学習の成果であるならば、それは何も学ばないでしまったことではないか。学んだことの証は、ただ一つで、何かがかわることである」という言葉を残しています。(4)
林の言う「何かがかわること」というのは、単に知識や技術を習得したということではなく、真実を尊重し追求する意志をとおして、人はよく生きるための徳を備えることができ、真に人間らしい人間となるというギリシアの哲学者ソクラテスの考えを指しているようです。すなわち、その人そのものが作り変えられるほどのことこそが、学ぶことの本質的な意味だというのです。
この林先生が、小学校で「人間とは何か」という授業をした時の5年生の女子児童の感想があります。
「私は、この『人間とは何か』を勉強して、感じたことは、普通の算数や国語などと違うし、算数のように答えて終わってしまうんでなく、考えれば考えるほど問題が深くなっていく。私は勉強していて、どこで終わるのか心配になってきたほどだ。
私は一つのことを、もっと、もっとと深くなってゆく考え方が、こんなに楽しいものかとびっくりした。」(5)

学ぶということは確かに覚えることではない。まさにそのとおりです。大学での学びもそのような楽しさや興奮をもたらすものであることを願います。青年期にある皆さんは、自分をどのように見ているでしょうか?自分が好きだとか嫌いだとか、自分の容姿や性格などに関してさまざまな思いはあるでしょう。自分の中には正しさだけでなく欠けているものがあること、どんな人にも光と影の両方が存在することに気づいているのではないでしょうか。自分の受け入れがたい現実をも含めて受け止め、それでもよい生き方を模索する生き方をするための学びです。物事を反対の側から眺めて見る。違った立場から考えてみる。人と対話して自分の考えを振り返ることで、今よりも寛容で賢明な人になる道が開けるのだと思います。

教室での学びだけでなく、地域活動や留学、サークル活動や趣味、アルバイトまでもが、その人の成長に欠かせないものです。大学時代こそ、失敗も許されながら経験を重ねて自分を磨く時間です。目を大きく見開き、自分の身体にも意識を向けて、外の風や太陽の光を感じ、自分の人生を生きるための学びを今日から始めてください。スティーブ・ジョブズが言うように、後で振り返ってみた時に、点であった一つひとつの経験が線になって皆さんの人生を形作っているはずです。国際教養学科の新しい第一章を共に書いていきましょう。神さまの祝福のもと、実り豊かな大学生活を送られることを願い、私の式辞といたします。

2026年4月3日
敬和学園大学長 金山愛子

(1) ディートリヒ・ボンヘッファー『倫理 DBW版新訳』新教出版社(2025年)596頁
(2) 内村鑑三『後世への最大遺物・デンマルク国の話』岩波文庫(1946年、第38刷、1981年)18頁
(3) 宮田光雄『ボンヘッファー 反ナチ抵抗者の生涯と思想』岩波現代文庫(2019年、第2刷、2026年)原稿より
(4) 林竹二『学ぶということ』国土社(1990年、第3刷、1997年)95頁
(5) 前掲書、97頁

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