学長室だより

2024年度入学式式辞(金山愛子学長) 

式辞を述べる金山学長


 

聖書
「先生、律法の中で、どの掟が最も重要でしょうか。」イエスは言われた。「『心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。』これが最も重要な第一の掟である。第二も、これと同じように重要である。『隣人を自分のように愛しなさい。』(マタイによる福音書22章36-39節)

新入生の皆さん、敬和学園大学へのご入学おめでとうございます。敬和学園大学は新発田市と聖籠町の両方に位置しています。新発田市には飯豊連峰を背に二王子岳がそびえ、美しい里山の風景が広がっています。この山脈から流れる加治川が赤谷を通り、新発田市郊外を潤して聖籠町で日本海に注ぎます。街中には新発田川が流れ、新発田藩主溝口家の名園「清水園」を中心に風情のある城下町のたたずまいが見られます。聖籠町では実り豊かな果樹園が広がる一方で、東港エリアには先進的な工場が並びます。この豊かな地で大学生活をはじめようとされている皆さんを、ここにご臨席賜りました新発田市、聖籠町を代表されるご来賓の皆さまと共に、敬和学園関係者、教職員一同、心から歓迎いたします。これまでお子さまを支えてこられましたご家族や関係者の皆さまにもお祝い申し上げます。大事なお子さまの教育を委ねられた責務の重さに身の引き締まる思いです。

敬和学園大学の名前は、先ほど読まれました「神を愛し、隣人を愛する」というキリスト教で最も重要な掟に由来しています。これを敬和学園高校の太田俊雄初代校長が「神を敬い、人と和す」と言い換えて「敬和」とし、大学では「神を敬い、人に仕える」を建学の精神としています。神によって創られた「人はみな等しく尊い」という人間観に基づいて一人ひとりの尊厳を大切にし、共に生き、平和をつくり出すことに価値を置く学園です。大学時代に得た知識や能力、自分自身の資質や時間を他者や地域のために用いて貢献する人を育てるというのが私たちの教育の理想です。

ここでいう「隣人を愛する」とはどういうことかを考えてみましょう。「愛する」という表現が恋愛感情とは違うことはすぐに分かりますが、「好き」という感情とも違うようです。聖書では「私の隣人とは誰ですか」との質問に、強盗に襲われた旅人を介抱した「よきサマリア人」の喩えを使って説明しています。同胞の宗教的指導者からも見て見ぬふりをされ倒れていた旅人を、ユダヤ人から差別されさげすまれていたサマリア地方から来た人が見つけて介抱し、宿屋に連れていき、宿賃を払って面倒を見るように頼みます。行き倒れになった人の「隣人」となったのはこのサマリア人であり、この人の行為が「愛すること」だと聖書は教えています。助けを必要としている人に勇気を持って手を差し伸べることが愛なのです。善意やボランティア精神でもこのような尊い愛の行為が世界中で行われています。

しかし敬和学園大学が建学の精神として「神を敬い、人に仕える」という時には、それぞれが持っている善意やボランティア精神だけではなく、社会の課題に向き合いながら共に生き、平和で幸せなコミュニティや社会をつくるために必要な知見や能力、態度を持つ人を育てていくということを意味しています。

敬和学園大学は人文学部を持つリベラルアーツ・カレッジです。人文学はもともと、哲学や歴史、文学など「人」が生み出したものを研究する学問分野で、人類の歩みをたどり、人類が築いた知の遺産から「世界を知り、自分を知る」ことを可能にします。本学では人文学と社会科学の分野が統合されています。社会科学の分野では、政治、経済、法律だけでなく、情報や福祉などの分野でも人間と社会について学び、必要な知識とスキルを習得します。

これからの時代は少子高齢化と人口減少が進みます。また能登半島地震などの自然災害や気候変動、生物多様性の減少などの環境問題もあります。日本で働く海外の方々も増えていきます。ウクライナやガザでは今も戦争が続いています。家庭内でも生きづらさを感じる若者が増えています。ICTやAIの技術革新は、コミュニケーションのあり方や働き方にも変化をもたらしています。このように急速に変化する難しい社会で幸せな地域を築くために、皆さんには学ぶべきことがたくさんあります。初代学長の北垣宗治先生は「大学は面白いところ」とよく仰っていました。さまざまな教員の教える多様な学問分野の学びから面白いと思える学問をぜひ見つけてください。私たちの役目は皆さんの心に知的好奇心の火を灯すことでもあると考えています。

次にリベラルアーツについて簡単にご説明します。リベラルアーツ、この言葉には2,500年ほど前の古代ギリシアの「自由人が身につけるべき教養」という意味合いがあります。それは複数の学問分野を関連づけながら学ぶことで、偏見から解放された自由な人を育てる市民教育でした。正しく考えること、周りの世界のことも人間の世界のことも知ること、人間とその文化にも親しむことを通してよき人間性、すなわち真実と偽りを見極める認知力と善悪に関する人格の涵養を目指しています。それが中世において大学の学びへと体系化され今日に至っています。リベラルアーツの学びでは、広い視野と思考の粘り強さと柔軟さを併せ持った真に自由な人を育てることが目標です。それは偏った考え方にとらわれていないかを常にチェックする機能を自分の中に持つことでもあります。

「キリスト教教育」「地域貢献教育」「国際理解教育」を柱とする本学では、新発田市、聖籠町の多大な支援を受け、「地球規模で考え、地域社会で実践する」人を育んでいます。教室で学んだ知識をもとに、地域の方々との交流を通して、この地のよさや課題を学び、魅力発信や課題解決につながる活動をします。子どもたちに英語を教える活動やフードバンクと連携した活動、映像制作やラジオ番組制作、農業と福祉の連携に環境保護活動など、活動範囲は県内外や海外にまで広がっています。今年度入学された皆さんには、全員にこのような地域活動への参加や留学、海外研修参加の機会を提供し、人と協働しながら主体的に活動する力を育てます。語学をしっかり学んで、ぜひ海外へも出かけてください。世界観が変わります。リベラルアーツの学びとこのような実践的な活動を合わせて、「実践するリベラルアーツ」を本学の教育の特徴としています。

さらに、デジタル技術の進む社会へ出る準備として、文系の学生にとっても分かりやすくデジタルスキルを磨けるようカリキュラムを充実させました。変化が激しく先行きが不確かな時代においては、変えるべきものと変えざるべきものを見極め、自分自身を更新(アップデート)していくことも重要です。デジタルな話とは対照的な喩えかもしれませんが、庭師の方によると、太くなった古い枝を切って新しい枝を残し、その木がどのような形になりたいのか木と対話しながら剪定するのだそうです。そうして木が更新していくのを助けるのが庭師の仕事だということです。そこには「待つ」という姿勢があるのだと思います。人を育てることも同じだなと思います。人と比べることをしないで、少し手助けして一人ひとりの成長を待つうちに、「世の中が灰色に見える」と言っていた学生や、人と話すことが苦手だった学生が、さっとカーテンを開けたように、自信を獲得し、新しい光の中へと歩みだしていく姿を何度も目撃しました。自分で限界を設けなければ可能性は開かれています。

最後にお願いがあります。新入生の中には中国やネパールからの留学生もいます。私たちの生きる時代をよりよいものにするために、敬和は日本一留学生と日本人学生の仲がよい大学になってほしいと思います。共に学び、さまざまな活動に関わることを通して互いに理解と寛容さを増し、愛とリスペクトを持った平和をつくり出す存在が多くなれば、幸せな多文化共生の時代が訪れるでしょう。

リベラルアーツの成果は「人」ですから、皆さん自身が敬和教育の成果となります。「私は敬和でこう変わった」「これをやった」「これができるようになった」と言える4年間を創造していってください。卒業時には、どんな歩みができたかを一緒に振り返ることを楽しみにしています。新入生の皆さんとご家族の上に祝福をお祈りして、私の式辞といたします。

2024年4月5日
敬和学園大学長 金山愛子