学長室だより
2014年度入学式式辞(鈴木佳秀学長)

2014年度入学式での鈴木佳秀学長の式辞
新入学生の皆さん、入学おめでとうございます。ご家族の方々、保護者の方々に対しても、学長としてお祝いの言葉を述べさせていただきます。これまで、皆さんは入学式を幾度か経験してこられたはずです。小学校の入学式のことを覚えておられますか。どのような気持ちで、その式典を迎えられたのでしょうか。中学校や高等学校の入学式ではどうだったでしょうか。
今日、皆さんは大学へ入学するため、その門をくぐられたのです。大学の入学式は、義務教育時代の入学式とは違います。決められた教室で、決められた学級に属し、決められた授業を聴講するのではないからです。これから過ごされる4年間を、自分でデザインしなければなりません。その意味で、挑戦の一日が始まったと考えていただきたい。
敬和学園大学は、「可能性は力である」とうたっています。皆さんがこれから過ごそうとしている4年間には、無限の可能性があるのです。その可能性を、ぜひ、切り拓いて、自分の夢や希望、描いている計画を実現していただきたい。まだ自分の計画や夢がくっきりとした形をとっていない方でも、4年間という時間があります。入学された後に、自分の可能性の種を探してください。
敬和学園大学は、建学時から、はっきりとした理念を掲げてまいりました。
第一はキリスト教主義です。「真理はあなた方を自由にする」という聖書の言葉を掲げ、偏見や差別とは無縁な、自由な雰囲気の中で学ぶ環境をうたっています。
二つ目は国際主義です。英語やドイツ語、フランス語などの外国語教育を重視し、ネイティブの先生方と共に、皆さんを迎えたいと思っています。国際主義と申しても、それは「自分を知る。世界を知る。」ことを目指したもので、三つ目の地域主義という理念と表裏一体のものです。
三つ目の地域主義という言葉が表わしているのは、同じ可能性です。
生活をする地元の方々と共に、その文化や歴史の担い手に加わり、市民との交流の中で、一体感を味わう経験を分かち合うことで、将来を担う若者として育っていただきたいという願いが込められています。理念の中で、大学の最も基礎になるのはキリスト教主義です。偏ったイデオロギーや偏った主義主張に囚われない精神を表し、強権発動といった、独裁主義とは正反対の姿勢を代弁しています。
リベラルアーツ教育という言葉を耳にすることが多くなると思います。簡単に言えば、三つの理念に支えられた人間教育のことなのです。言葉を換えるならば、人間らしい人間になるための教育といえるでしょう。人間らしい人間とは、人を愛し、人を支え、苦しんでいる人のそばに立ち、その苦しみを理解し、共に生きることができる人間です。新潟県内で唯一のミッションスクールとして、人間教育を担う使命を、敬和学園大学は掲げています。チャペル・アッセンブリ・アワーを設けているのはそのためです。
皆さんに、聖書の言葉に触れていただく機会を提供しています。伝統的な日本の文化には、見られなかった可能性、その可能性の種を、皆さんに見つけていただきたいからです。皆さんが、大学を卒業してから出て行く社会では、この種が有効に働く世界が広がっています。この種こそが、この世界に平和を実現させる可能性を宿しています。
今まで、キリスト教とは関係のない世界に生きてこられた学生諸君には、その種は、まるでからし種のように、小さく、小粒なものに見えるでしょう。
しかし、このからし種には、やがて大きな大木にまで成長する力が宿っています。天の国はからし種に似ている。人がこれを取って畑に蒔けば、どんな種よりも小さいのに、成長するとどの野菜よりも大きくなり、空の鳥が来て枝に巣を作るほどの木になる。
これは新約聖書のマタイによる福音書にあるキリストの言葉です。
敬和学園大学は、皆さんの豊かな心の土壌に、種を蒔く大学です。理念に支えられた種が、若い皆さんの土壌に蒔かれると、若さと無限の可能性という水分を吸収し、芽を出し、やがて大木になると信じているからです。大学4年間は長いようで短く、瞬く間に、過ぎ去ってしまいます。皆さんが青春を謳歌するこの4年間は、皆さんが挑戦するためのフィールドです。一日一日を大切に、このフィールドを走り抜いていただきたいと思います。
教職員一同、時を惜しまず、皆さんの挑戦を支え、応援したいと思っています。これから過ごす大学生としての毎日に、神の豊かな祝福があるよう、祈ります。
2014年4月4日
敬和学園大学長 鈴木佳秀