学長室だより

「旅人としての人生(ヘブライ11:8-12)」(2021.7.16 C.A.H.)

 

「旅人としての人生」というタイトルは、多くの日本人には「旅に病んで夢は枯野を駆け巡る」という辞世の句を残した芭蕉を思い出させます。今朝は名画を用いて「行き先を知らずに旅をした」アブラハムの人生について考えてみましょう(ヘブライ11:8)。私たちの人生は行く先を知らない旅に似ているからです。私たちは「裸で生まれて来て、裸で大地に帰ります」(ヨブ記1:21)。人生は人との出会いで決まります。人との出会いの中で次第に自分がいかに生きるべきか、何のために生きるかを自覚していきます。自分の人生という旅の目的地を次第に見いだしていきます。(スライド1)

アブラハムはシュメール文明の中心地のウルから冒険心とチャレンジ精神に溢れて妻のサラと甥のロトと多くの家畜を連れて「行き先を知らずに」旅に出ます。アブラハムが旅を始めたウルからチグリス川とユーフラテス川をさかのぼり、ハランという土地に至り、ダマスコを経て、地中海に沿ってエジプトにまで下る地域は、砂漠に囲まれたステップの草地の地域は「肥沃な三日月地帯」と呼ばれるところです。(スライド2)

やがて、アブラハムがパレスティナに入ると神が現れて、アブラハムに2つの約束をします。第1の約束は、子孫が繁栄する約束です。第2の約束は、パレスティナの土地をアブラハムの子孫に与える約束です(創世記12章)。アブラハム物語は、神から与えられた約束を旅の途中で何度も失敗を重ねながら、次第に実現していく物語です。(スライド3)

第1の約束である子孫の繁栄の約束がなかなか実現しないので、アブラハムは悩んだ末に人間的な思いから自分の後継者として、一番信用できるダマスコのエリエゼルを養子にしようとします。しかし、神はそれを受け入れず、養子ではなく、アブラハムの実の子が跡を継ぐことを宣言します(創世記15章)。(スライド4)

アブラハムは低地の肥沃な土地を甥のロトに与え、自分は家畜を飼うのに貧弱な土地、マムレのテレビンの木の辺りの土地を選びます。しかし、豊かな土地を得たロトは、豊かな土地を狙った外国の王に攻められますが、アブラハムはロトを助けて救い出します(創世記13-14章)。ロトとその家族はソドムとゴモラという町に住む不道徳な人々と共に滅ぼされそうになりますが、アブラハムの執り成しの祈りによって救われます(創世記18章後半、19章)。(スライド5)

しかし、神はソドムとゴモラの悪が収まらないのでこれらの町を滅ぼすことにします。ロトとその家族は近くの小さな町ツォアルまで逃げることにします。神は逃げるときに決して決して後ろを見てはならない。ソドムとゴモラが滅ぼされる惨事を見てならないと戒めます。神との約束を破ったロトの妻は塩の柱になってしまいました。(スライド6)

アブラハムは妻サラが老人になって子が生まれるような状態ではないので悩んだ末に、飢饉でエジプトに逃れた時にエジプトから連れてきた女奴隷のハガルとの間に子イシュマエルをもうけて、自分の息子にしようとします。しかし、イシュマエルが生まれると妻サラと女奴隷ハガルの立場が逆転してハガルの立場が強くなり、サラとハガルの関係が極めて悪くなっていきました。アブラハムが神の約束を実現しようと人間的な思いからよかれと思ったことが、サラの悩みを深くしました(創世記16章)。(スライド7)

そのような悩みと憂いのさなかに3人の旅人の客人がアブラハムを訪れ、老人の妻サラが来年男の子を生むことを予告して立ち去っていきます(創世記18章前半)。サラはそのことを立ち聞きして「まさかそんなことが起こるはずがない」と笑ってしまいます。しかし、その客人は実は神から遣わされた天使だったのです。天使の予告どおりサラは約束の子イサク(「笑う」という意味)を産みます。(スライド8、9、10)

しかし、少年イシュマエルが幼子イサクをいじめる姿を見て、アブラハムは問題解決の最後の手段として、ハガルとイシュマエルに家から追い出してしまいます。ハガルとイシュマエルの嘆きはいかばかりでしょうか。その嘆きの声を聴いて天使が現れ、イシュマエルの子孫が大いなる民となる約束をします。(創世記21章)。こうして、イシュマエルはアラブ人の先祖となっていきます。(スライド11、12、13)

しかし、約束の子イサクが与えられたアブラハムに神は試練を与えます。イサクを犠牲の動物と同じように神に捧げよとアブラハムに告げます。アブラハムは神の約束とは矛盾する神の言葉にもかかわらず、神の約束を信じ「神の山に備えあり」と確信して、イサクを連れて指定されたモリア山に登っていきます。(スライド14、15)

そして、モリア山頂でイサクを屠ろうとした瞬間に天から声がします。「アブラハム、アブラハム、あなたの信仰は分かった。あなたは独り子をも惜しもうとはしなかったからである。」目を上げてみると、そこにはイサクに代わって神に捧げるべき羊が目の前の藪の中にいました。アブラハムの信仰は、現代においてもユダヤ教とキリスト教とイスラーム教が一致して立つところです。(スライド16、17、18)

アブラハムは子孫が繁栄する約束を実現しようとして悩みと迷いの中で、紆余曲折の末に最後に神の約束を徹底して信じる信仰に立って、イスラエル人の先祖となりました。アブラハムがパレスティナで手にした土地は妻サラを葬った墓地だけでしたが、その約束は450年後にモーセの時代に実現します。(スライド19、20、21)

「行先も知らずに旅した」アブラハムの人生を振り返って見ると、「信仰の人アブラハム」と呼ばれるアブラハムも多くの迷いと失敗を重ねる中で最後に神の約束を固く信じて信仰に立つ人となったことが分かります。私たちも冒険心とチャレンジ精神をもって「人生という旅」を歩み続けましょう。そして、自分らしく生きていく道、自分が歩むべき道、自分しか歩めない道を探し求めていきましょう。祈りましょう。(山田 耕太)