学長室だより
「天には栄光あれ!地には平和あれ!(ルカ2:8-14)」
クリスマスツリー点灯式
皆さん、こんばんは。キリスト教のカレンダーでは11月最後の日曜日から「アドヴェント」(待降節)というクリスマスを待ち望む季節に入ります。教会の礼拝では、その日から毎週一本ずつロウソクが加えられて点灯されていきます。本学ではアドヴェント直前の金曜の夕にクリスマスツリーの点灯式を行っています。
今歌った讃美歌21の252番「ひつじはねむれり」は、クリスマスによく歌われる讃美歌で、日本人が作詞作曲した唯一の讃美歌です。作詞者の三輪源蔵は、与板(現在は長岡市)出身の人です。三輪源蔵は同志社を卒業して新発田に来て新発田教会の新発田英語学校という夜学校の教師として活躍しました。また、同志社の先輩である新発田教会の初代牧師の原忠美(ただよし)をよく助けました。その後、松山や横浜のキリスト教学校教師を経て母校同志社の国文学の教師を長く務めました。この詩が作られたのは、母校の教師に就いた3年目の1907年でした。三輪源蔵は後に讃美歌委員にもなりました。この詩はパレスティナの夜空を想像しつつも越後の夜空を思い出しながら書かれたのではないかと思わされます。
羊飼いらが夜に羊の番をしていると、突然夜空一面にまばゆいばかりの光が広がります。天使の群れが現れたのです。そして、天使の一団が声高らかに合唱し始めて、羊飼いらに御子イエス・キリストの誕生を告げたのです。
「いと高き所には栄光、神にあれ、地には平和御心にかなう人にあれ」(ルカ2:14)
天使たちが歌う合唱の冒頭の「いと高き所には栄光、神にあれ」は、ラテン語で「Gloria in exercises Deo」と言います。 讃美歌21の263番「荒野の果てに」で何度も繰り返される言葉です。「いと高き所」とは天上の世界を指しています。端的に言えば「天には栄光あれ、地には平和あれ」と言うことになります。天上の神を讃えて、地上の人間の世界の平和を祈る言葉です。
天上の神の世界は光に満ち溢れた世界です。神そのものの本質が光だからです。神の子キリストも光なる神を鏡で反射させるように、光り輝く存在でした。しかし、人間の世界に降りてきた時には、十字架刑にかかる直前に変貌の山で、その光輝くその本質を垣間見せた時以外は、光り輝くその本質を隠して地上の世界を歩んだのです。そして、天上の世界に戻ってから再びその本質が光り輝く存在であることを明らかにしたのです。
人間の世界は暗い闇に覆われています。一方では資源開発や経済活動によって大自然が破壊され、大量の二酸化炭素の排出によって地球温暖化が起こり、氷河が解けて海水面上がり、また海水温も上がって強大化した台風や凶悪化した季節風によって大水害や大洪水が世界各地で頻繁に起こっています。他方では、21世紀の時代になって戦争が起こり、大量のミサイルが発射されて市民生活を破壊し、大勢の市民の命が無残にも奪われ、核爆弾の使用をほのめかして全人類の存続すらが危機にさらされています。
他方では、ネット上での誹謗中傷などによって死に追い込まれる人が出たり、さまざまな手口の詐欺によって大金を奪われたりすることが頻繁に起こっています。人間の心の内には深い闇があります。それは絶望や不安にさいなまされることを引き起こします。キリストは深い闇の覆われたこの地上の世界に光をもたらすためにやってきたのです。キリストは人の心に希望の光を灯して平安な心をもたらすために、天上の光の世界からこの地上に現れたのです。私たちも心の内にキリストを迎え入れて、この地上に希望と平和を創り出していきましょう。祈りましょう。(山田 耕太)