キャンパス日誌

【学生レポート】大切な人やものがそばにいる奇跡~8.6平和学習プログラムに参加して~

敬和学園大学はキリスト教主義の大学として、広島女学院や沖縄キリスト教学院と連携し、学生たちに平和について考える機会を提供しています。
広島に原爆が落とされた8月6日をはさんでの3日間、広島女学院大学で行われた「第19回キリスト教主義大学ジョイント8.6平和学習プログラム」に本学から2名の学生が参加しました。このプログラムには、広島女学院大学、本学のほか、神戸女学院大学、聖和短期大学、プール学院短期大学、松山東雲短期大学、福岡女学院大学の学生たちも参加しました。

本学から参加した小黒美羽さん(英語文化コミュニケーション学科2年)からのレポートをお届けします。

開会礼拝と被爆者証言(1日目)

プログラム1日目は、開会礼拝から始まりました。説教をしてくださったのは、広島女学院大学の澤村雅史先生です。少し内容を紹介します。

「皆さんはこの写真を見て何を思いますか。そして、平和とはどんな世界をいうのか考えてみてください。」

澤村先生から見せていていただいた「原爆投下直後の写真」

澤村先生から見せていていただいた「原爆投下直後の写真」

人それぞれ考えることは違うと思いますが、私はすぐに「争いのない世界」というのが頭に浮かびました。しかし、澤村先生はこう続けます。
「もしも、『争いのない世界』を平和というのであれば、この写真は平和であるといえます。なぜなら、ここには銃を持った兵士はいないですし、けんかしている人たちもいません。ですが皆さんはこの写真を見て平和な世界だと思えるでしょうか。」

このお話を聞いて、自分がいかに平和というものに対して曖昧な考えを持っていたのか、また、深く考えたことがなかったのではないだろうかということに気づかされました。

被爆者証言でお話ししてくださったのは、嘉屋重順子先生です。嘉屋重先生は広島女学院中学・高等部をご卒業されており、現在では広島県原爆被害者団体協議会の常任理事をされています。

1945年8月6日の朝、当時小学校1年生だった先生でさえ、飛行機の音を聞いただけでB29(アメリカの戦略爆撃機)が来たことが分かったそうです。
自宅の窓から外を眺めて、飛行機に向かって指をさした瞬間、原爆が炸裂。爆心地から1.3キロほど離れた自宅でさえ、畳や机、椅子などがすべてなくなり、気がついた時には土の上にいたそうです。

被爆者証言をお話ししてくださった嘉屋重順子先生

被爆者証言をお話ししてくださった嘉屋重順子先生

今でこそ日本中、世界中で証言をなさっている先生ですが、若いころは被爆したことによってできた腕のやけどが見えないように夏でも長袖の服を着ていて、当時の話をすることが本当に嫌だったそうです。ご自身で「自分は若いころ被爆した事実から逃げていた」と振り返っていらっしゃいました。しかし、原爆や被爆した事実と向き合うことは、自分と向き合うことにつながると気づき、被爆者証言を行うことを決めたそうです。

「被爆者の年齢が高齢になっていく中、自分たちには残された時間で話す義務がある。だから、世界中どこからでも声がかかればその場に行ってお話ししたい。」とおっしゃっていたのが印象に残っています。生の被爆者証言が聞ける最後の世代といわれている私たちにも、聞く義務があるのではないのだろうかと感じました。

ディスカッション(2日目)

1日目に広島平和記念資料館や広島平和記念公園の碑を訪ね、2日目8月6日の広島平和記念式典とダイイン(犠牲者に模して大地に横たわり行う抗議)などに参加し、それらの経験から各自が学んだことを発表する準備をグループごとに行いました。
模造紙に「今回学んだこと」「疑問に思ったこと」「自分たちが今一番伝えたいこと」などを付箋に書いて貼っていき、意見をグループ分けしていきました。自分たちが学んだことを言語化・視覚化することにより、さらに学びを深められたように感じました。

グループディスカッションで自分たちが学んだことを言語化・視覚化しました

グループディスカッションで自分たちが学んだことを言語化・視覚化しました

グループ発表(3日目)

このプログラムの締めくくりとして学びの発表を行いました。4つの班に分かれていたのですが、それぞれ違った見方や考え方を持っていることがよく分かりました。
発表では、「インターネットやテレビで伝えていることだけでなく、自分の目で見て、耳で聞き、どう感じたのかを次の世代に伝えていきたい。」「原爆投下は一般市民を巻き込む実験であった。二度と繰り返してはいけない。」といった力強い言葉が述べられていました。

発表では、参加者の力強い意見が交換されました

発表では、参加者の力強い意見が交換されました

プログラムに参加しての感想

まず、とても暑い中での3日間でしたが、熱中症対策やプログラムを円滑に進められるよう準備、サポートしてくださった広島女学院の方々をはじめとする、すべての関係者の皆さまにお礼を申し上げます。
原爆投下の年、日付、時刻を正確に言える若者が減少しているそうです。地元広島の中高生でも正答率は5割程度、小学校4~6年生では3割程度しか正確に答えられないという調査結果があります。罪のない一般市民の多くが命を落とした事実が風化していくということはあってはなりません。
「1945年8月6日午前8時15分」、皆さんにも忘れないでいただきたいと強く思います。

被爆者証言集に目を通すと、同じ話は一つもありませんし、どの証言を見ても新しい事実が見つかります。しかし、共通している点があります。それは、「一瞬にしてすべてが焼き尽くされた」「一瞬にして家族や友人を失った」などという表現です。一瞬にして大切な人やものを失う悲しみ、苦しみは想像を絶するものだと思います。被害者の方々も8月5日の時点では、明日すべてを失うなどと思いもしなかったことでしょう。それは私もそうですし、皆さんもそうだと思います。私は、大切な人も大切な人の大切なものもいつ失うかは分からないので、大切にしていきたいと強く感じました。

大切な人やものがそばにいる、そばにあるということは決して当たり前ではなく「奇跡」であり、この奇跡が起こっているということが「平和」なのだと分かりました。

(英語文化コミュニケーション学科2年 小黒美羽)