チャペルのひびき

この小さき者たちの一人にしたことは

チャペル・アワーは、「出エジプト記」をテキストの一つに選び、寄留の外国人、寡婦、孤児と言った弱き立場に置かれた存在を心の外に置かず、その人たちに助けの手を差し伸べることこそが、神の御心にかなった生き方であることを学びました。神を愛することとは、小さく、弱き人たちを大切にすることである。この立場に立って、後の預言者たちは、それとは反対の生き方をしている王や民たちに厳しく警鐘を鳴らしたのでした。この心は、「この小さき者たち(飢えや渇きを覚えている者たち、困窮の中にある者たち、病の中にある者たち、不安な旅の途上にある者たち)の一人にしたことは、私にしたことである」と語られた主イエスにも受け継がれてゆくのです。困窮の中に置かれた人々をなおざりにすること、あるいは、そうした状況へと弱き人々を追いやってゆくこと。これは、私たち日本人が直視すべき歴史上の問題であると共に、乗り越えてゆくべき現代社会の問題であることを覚えたく思います。アッセンブリ・アワーにおいては、困窮の中に置かれた人々に手を差し伸べる働きをこの新発田の地において積極的に展開しておられる土田雅穂先生(フードバンクしばた事務局長)のお働きについて拝聴する機会を与えられました。この活動に参加している敬和学園大学の学生たちの存在をうれしく、誇りに思います。(下田尾 治郎)

Ⅰ.チャペル・アワー 
説教 「小さな者たちに向けられる眼差し」 宗教部長 下田尾治郎 先生

Ⅱ.アッセンブリ・アワー
講話 「フードバンクしばたについて」 フードバンクしばた 事務局長 土田雅穂 先生

<参加学生の感想>
感想1) フードバンクしばたの存在を知り、こんな近くにご飯が食べられなくて困っている人たちがいるのだと知りました。その中でもひとり親家庭が多く、離婚し自分ひとりで稼ぎながら子どもを育てている母親が、病気などで働くことが難しくなってしまい、家庭を支えるのが厳しい人がいることを知り胸が痛くなりました。食費を削らなければ生活できないけれど、子どもにお腹いっぱい食べさせてあげられないことを負い目に感じる人たちにとって、フードバンクは本当に助けになっていると思いました。私の母親もシングルマザーで母の稼ぎで生活を支えてくれています。私の家は祖母もいたのでお金や食べ物の面では何不自由なく暮らせていますが、他人事ではないと思いながら聞いていました。自分の母が苦労をしていてそれを近くで見てきたから、同じようにつらい思いをしている人たちの力になりたいと強く思いました。フードバンクしばたが行っている制服や学用品のリサイクルなら私でも参加できるのではないかと思いました。そういったボランティアを積極的に行っていこうと感じました。
感想2) チャペル・アワーでは、2つの聖書箇所のお話がありましたが、私が特に印象に残ったのは2つ目のマタイによる福音書25章31~40節の部分です。この箇所は「最も小さい者の一人にしたことは神にしたことである。」という部分が本当に印象深くて好きです。この箇所に出合うことができてからは少しでも誰かのためになるようなことをしようと思えるようになりました。下田尾先生のお話もこの箇所につながっているように感じ、とても印象的でした。フードバンクしばたの活動の動画を見てとてもつらい家庭がこんなにたくさんあるということに驚くと同時にとても悲しくなりました。今まではフードバンクしばたの活動に対してあまり関心がなかったのですが、今回動画やお話を聞いて私も少しでもそういう困っている人を支えてあげたいと感じました。私の家でも母、姉、私の3人ですが、親が離婚したのは私も姉も高校に上がってからだったので、私たちもバイトなどで少しは母の負担も軽くさせてあげられたと思います。しかし小学生など小さい子どもだったらそれも難しいことだから少しでも困っている家庭が少なくなってほしいです。
感想3) イエス・キリストは救い主であるにもかかわらず、貧しい暮らし、そして逃げながら生きていたのだと知りました。そのよな中で人々を導いていて、本当の救い主なのだと改めて理解することができ、うれしかったです。戦時中の朝鮮人や現在弱い立場にあって苦しんでいる人々と同じ場に立って救いを示された神は本当にすばらしいなと思いました。