学長室だより

人間としての厚みを増す

敬和学園大学では開学時より比較的多くの社会人の方々が学ばれ、大学や20歳前後の学生も社会人学生から助けていただいたり、刺激をいただいてきました。現在社会人学生として在籍しておられる今野善江さん(4年生)と星野美和さん(1年生)に大学生活についてお話を聞きました。通学に長い時間をかけ、家に帰れば家事もこなしながら真剣に学問に向き合っておられるお二人に、どうして仕事を辞めて大学生になったのかから質問しました。

今野さんはコロナ禍で仕事にブランクがあった時に、何もない薄っぺらな人生を思ったそうです。終息までに何年かかかるなら「大学に行こう」と思いたち、「教養学部」とも呼ばれる「人文学部」のある大学を調べ始めた日の翌日に大学説明会があり、導かれた感じがしたと話していました。入学後は留学、被災地支援やパレスチナ支援もされ、よく学びよく行動しておられます。「勉強しているうちに点と点がうすい線でつながるような、パズルのピースがはまるような感覚を得ている」と言います。「大学は最高学府というから学びの最後だと思っていたけれど、これが始まりだと知った。まだ先がある」との言葉に頷きました。卒業論文を書き終えた学生たちから、これまで何も知らなかったことを知り、「もっと知りたい、学びたい」という感想を聞くことがよくありますが、そういう時は「今、あなたは学問という長く続く道の戸口に立っているんですよ」と話してきたことを思い出していました。大学生活が「楽しくてしようがない」と言い切れるところにその充実ぶりを感じ、すてきだなと思います。

星野さんは、高校卒業後の進路選択は「安易だった」と振り返ります。仕事も子育ても無我夢中でやってきたけれど、「完璧を目指そうとしていたわけではないのに、慢性的な忙しさに心の余裕がない状態で、いつも急いでいた。ゆとりがないことの代償はボディブローのようにじわじわと効いてきて、ある年齢になって自分の力のなさを感じ、自分のために時間を使うことをしたいと思った」と話されました。意欲があっても途中で終わって集中できていなかったという言葉にも共感しました。資格取得も考えたけれど、「もっと自分の興味のあることを学ぼう」と思い直し、今は学びと社会の仕組みがつながっていく感覚が純粋に楽しいそうです。これまでの人生、「よくがんばったと思うけれど、この先、何の賞ももらえなくても、「ありがとう。面白かった」と言って終わりたい」と語る星野さん。そう「大学は面白いところ」(北垣初代学長)。これまでの役割や自分自身に課していた縛りから解放されて、人との出会いを大切にしながら自分の人生を生きる姿にエールを贈ります。

楽しくお話しする中でとてもすがすがしさを感じさせるお二人ですが、自分の薄さ、力のなさを感じ、「人間としての厚みを増したい」という願いを語っておられました。何かの役に立つというような目標のためでなく、自分の人間として厚みーまさに教養―を増すために人文学を学ぶ中で、いったん社会的役割から解放されて一人の人として生きるために学ぶというリベラルアーツの原点を見つめていることが伝わってきました。リベラルアーツは「教養」と訳されてきた言葉で、教養は英語ではculture。心が耕されている状態を言います。教養の定義はさまざまありますが、単なる物知りではないことは明らかです。渡辺一夫の「教養は人を追いつめない」との言葉を下田尾治郎宗教部長に教えていただいたことがあります。「教養」とは何かを考え、自分の定義を探すことも自分を深めてくれるでしょう。学生も教職員もより厚く、より深く、それゆえにより愛に満ちた人へと成長する途上にある旅の仲間なのだと思います。(金山 愛子)

今野善江さん(写真左)、金山学長(写真中央)、星野美和さん(写真右)