学長室だより

「なぜ新約聖書を学ぶのか-行き先を知らない旅人として(ヘブライ11:8)」(2023.1.20 C.A.H.)

最終講義のあと、学生代表から花束が贈られました

最終講義のあと、学生代表から花束が贈られました


 

皆さん、おはようございます。皆さんお集まりいただきありがとうございます。私は新約聖書学を専門にしていますが、この大学では32年間の最初の17年間は「キリスト教学」を担当して、3,000人以上の学生たちに聖書入門の講義をしてきました。2002年から20年間は「ヨーロッパ思想史」で古代ギリシアから現代までのリベラルアーツの歴史を教え、2004年に共生社会学科を立ち上げてからは、「共生の哲学」や「社会福祉思想史」も教えてきました。2011年から4年間で一巡りする「新約聖書の世界」を3巡りし、今週月曜の授業ですべて終えました。1995年から学長になるまで20年間基礎ゼミや専門ゼミも担当してきました。学生の質問に答える中で多くのことを教えられました。今日は私の専門領域である新約聖書に的を絞ってお話ししたいと思います。


学生の皆さんは、大学1年生の時に聖書について学びますが、なぜ聖書を学ぶのか考えてみたことがあるでしょうか。第一に、必修科目だから単位を取るために聖書を学ぶという消極的な理由の人もいるでしょう。第二に、教養のために聖書を学ぶ、ともう少し積極的な意味づけをしている人もいるでしょう。第三に、外国人とより深いコミュニケーションをするために学ぶ人もいると思います。第四に、チャペル・アッセンブリ・アワーでの聖書の言葉によって、自分の生き方を反省したり、生きる指針を示されたりする人もいると思います。「中心の喪失」(ゼーデルマイヤー)した時代である現代において、聖書の言葉によって自分の生き方を考え直すことは、極めて大切な学び方です。しかし、ここではもっと視野を広くして文明史・文明論的な展望の下で、なぜ聖書を学ぶのかを考えてみたいと思います。
皆さんは小・中学校や高校の歴史で四大文明(エジプト文明・メソポタミア文明・インダス文明・黄河文明)の発祥について学んだことがあると思います(トインビー『歴史の研究』短縮版、ブローデル『文明の文法』、伊東俊太郎『比較文明』他)。このような文明にはある構造があって、それは海に浮かぶ氷山に例えることができます。すなわち、文明の表層部である外交・政治・法律・経済などの刻々と変化していく部分は、海の上に浮かんで見える氷の部分に、また文明の基層部にあたる文化・芸術・倫理・宗教などのゆっくりと変化していく部分は、海面下に隠れた氷の部分に例えられます。このような宗教に基づく生活習慣や倫理道徳を基盤にした文明圏という考え方で世界を捉える見方が、これからより大切になっていくと思います。あってはならないウクライナの戦争も軍事・外交・政治という文明の表層部を見るばかりでなく、基層部からも見る必要があります。ロシア・ウクライナ・ベラルーシは東方キリスト教文明圏に、NATO諸国は西方キリスト教文明圏に、ロシアに隣接する周辺のアルメニアとジョージアを除いたカザフスタン・ウズベキスタン・トルクメ二スタン他はイスラーム教文明圏に属すことも視野に入れる必要があります。
ここでいう宗教とは、オウム真理教や統一教会などの新興宗教を除いて、何百年も絶えることなく信仰されてきた伝統宗教に基づいています。世界で最も信者が多い宗教はキリスト教で、次がイスラーム教です。世界の人口80億人の約1/3の24億人がキリスト教徒です。キリスト教もカトリックとプロテスタントの国々が形成する西方キリスト教明圏とギリシア正教とロシア正教の国々が形成する東方キリスト教文明圏に分かれます。次に人口が多いのが、世界の人口の約1/4の20億人のイスラーム教徒が形成するイスラーム教文明圏です。両方を合わせると世界の人口の半分以上に達します。残りの大半は、儒教が背景にある中国の14億人で、中国の周辺の韓国・北朝鮮・日本を含めて儒教文明圏を形成し、次に人口14億人のインドがヒンズー教文明圏を形成しています。以上で世界の総人口の9割を占めます。
このように捉えた文明圏のその中でもキリスト教とイスラーム教は、旧約聖書に記された古代ユダヤ教から分かれてきた宗教です。旧約聖書は、ユダヤ教・キリスト教・イスラーム教の母なる宗教です。旧約聖書は、ユダヤ教・キリスト教・イスラーム教に共通な神観・世界観・人間観を提供するのです。こういった意味でも、旧約聖書の学びは極めて大切です。
日本古来の宗教は、神道です。古代の日本人はすべての自然現象に神々の働きを見て、やがて神々を神社に祭るようになりました。神道は日本人の間だけで信仰されている民俗宗教です。6世紀にはそこに世界宗教の儒教や仏教が日本に伝来しました。仏教は平安時代まで豪族や公家社会の中では広まりましたが、民衆の間に広まるのは鎌倉時代以後です。それに対して、儒教が民衆の間に広まるのは寺子屋や藩校による学校教育が広まった江戸時代です。こうして神道に仏教が融合した生活習慣の上に儒教倫理が上乗せされた儒教文明の周辺文明である日本文明は西方キリスト教文明と3度遭遇しました。1度目は1549年のザビエルの来日に始まるキリシタン時代です。これに対して神道・儒教・仏教の三教が一致して反対して、約80年後には国を閉じる鎖国政策によって拒まれました。2度目は、1853年のペリーの黒船来航によって開国を迫り、倒幕から明治維新による和魂洋才の方針で、西方キリスト教文明を表面的に受け入れた文明開化の時代です。しかし、文明開化から大日本帝国(明治)憲法と教育勅語の制定により国粋主義へと転換し、大正デモクラシーで一時的に振り子が戻されますが、さらに軍国主義へと傾いて、やがて日中戦争・太平洋戦争で敗戦しました。そこで78年前に西方キリスト教文明と3度目の出合いを迎え、平和憲法と教育基本法を新たに制定しました。天皇は「現人神」という立場から象徴へと変わり、民主的な社会が築かれ、再び平和な時代が訪れました。現在求められているのはかつての日本的な精神(和魂)のままで表面的に科学や経済(洋才)のみを受け入れる、という中途半端な立場ではなく、科学や経済の根底にある精神や理念から受け入れるという徹底した態度でないと、日本は今後の世界の荒波の中で生き残れない時代を迎えています。すなわち、新約聖書を学ぶことは、現代の日本社会の基盤を点検すると同時に、新しい日本社会を築いていく礎になるのです。その前に私はなぜ新約聖書を学ぶのか、私自身の精神的な旅について簡潔に述べます。


人生はしばしば旅に例えられます。人生では出会いが大切です。出会いが生涯を決めることがあります。ユダヤ人の先祖で世界三大一神教の父である「アブラハムは行き先も知らずに旅に出た」(ヘブライ11:8)とあります。私も若い時からずっと行き先も知らずに旅をして、敬和学園大学に着任して行き先が次第に明確になってきました。
私は今から72年前に東京でキリスト教と縁のない家庭で生まれ育ち、教会付属幼稚園の1年保育でキリスト教と接しました。「三つ子の魂百まで」と言いますが、今から考えるとその後の私の生涯を方向づけることになりました。私は高校受験で1校しか受験せず、その直前に40度近い高熱を出して「もし神さまがいるなら助けてください、合格したら教会に通います」と必死になって祈って保健室から受験しました。高校に無事合格するとすっかりそのことを忘れてしまい、理科系のコースで学びました(本学で12年前と2年前に講演してくれた池上彰氏は文科系コースで同じクラスになることはありませんでした)。高校3年春になってそのことを思い出して教会に通い始め、クリスマスに洗礼を受けました。
一浪して千葉大学に入ると同時に千葉大学キリスト者の会という当時学生数6,000人のキャンパスの中で、わずか10人以下の極めて小さなサークルを立ち上げて、聖書研究会や祈祷会、学園祭での講演会や勉強会に励みました。新約聖書が書かれたギリシア語を身につけたのもサークルの勉強会でした。キリスト教の古代に憧れて情熱をもって、高校・大学時代には新約聖書を何度も何度も読み返しました。しかし、入学して1年過ぎて、高校と変わらない大学での学びに失望し、朝から夕方まで国会図書館に通い始めました。私には大きな悩みがあったのです。キリスト者になって、理系から文系に大きく方針を転換し、宗教と科学の区別の問題で悩んでいたのです。国会図書館で毎日さまざまなジャンルの本を読んで、ようやく科学哲学にたどり着き、カール・ポパーの科学とそれ以外の「区別」の問題で解決して2年後に大学に戻りました(その当時の日本でまだポパーを知る人はほとんどおらず、訳書も一冊もない時代でした)。私は2年遅れて大学を出ましたが、自分の問いに対して徹底して納得いく回答を見いだすというこの遠回りした経験は貴重でした。大学を卒業する時までサークルは10名以上になったことはありませんでしたが、創部30周年の時に100名近いリストを見て驚きました。大学卒業後、ICU大学院の比較文化課程で新約聖書を対象にして修士論文を書き、当時の中川秀恭学長の推薦文で門戸が開かれて、イギリスのダラム大学神学部の大学院で、「使徒行伝におけるパウロ伝承」という英文300頁の論文を提出して博士号を得て日本に帰国しました(詳しくは拙著『ダラム便り』、ジェームズ・D.G.ダン著・拙訳『新約学の新しい視点』参照)。帰国後4年して新設大学である本学に着任することができたのは、本当に幸いでした。心の底から深く感謝しています。この大学において、私がなすべき務めが何かが次第に明らかになってきました。
大学教員には4つの領域の仕事があります。研究・教育・社会/地域貢献・管理運営です。教育に関しては冒頭で述べた諸科目を教えてきました。教育の背後にあり、教育を支えている研究に関して若干述べさせていただきます。私が現在まで進めてきた研究は、古代ギリシア・ローマ時代のコミュニケーション手段であった修辞学に基づいて新約聖書を読み解いていくことです。私が修辞学的批評に出合ったのは、イギリスの大学院ゼミのただ1回の授業においてでした(詳しくは、拙著『エフェソ書注解書』「はじめに」参照)。私はこの出合いから次第に関心を深めていき、日本新約学会や日本聖書学研究所などで研究発表しはじめました。やがて、アメリカの第一人者から国際研究集会への招待状が届き、驚きつつ戸惑いつつもそれに参加しました。アパルトヘイト(人種隔離政策)廃止直後の南アフリカのプレトリア、アメリカのマリブ、スウェーデンのルンド、ドイツのハイデルベルクで発表する機会がありました。隔年開催で10数人の参加者全員が発表しコメントしあう2泊3日の合宿形式の研究集会でただ一人の日本人でした。しかし、日本の学会ではすぐには理解されず、20年発表し続けて、周囲の理解も広まりました。ここから、一つのことをやり続けるとライフワークとなること、世界には数人の目利きの人がいて、それらの人の視野に入るといつか正しく評価されることを学びました。


私は学生時代から今日に至るまで憧れと情熱をもって新約聖書を学んできました。それはキリスト教の誕生からキリスト教が形成されていく過程を、まるであたかも火山が噴火して溶岩が流れ出し、冷えて固まっていく過程を見るかのように、新約聖書でつぶさに観察することができるからです(研究ノート「イエスとは誰か」参照)。またそれが東西のキリスト教文明圏の土台を形成しているばかりか、現代や将来の日本社会の土台となる重要な価値観を提供するからです。
それでは、キリスト教の土台であるイエスの教えの中で何が一番大切な教えでしょうか。それは敬和学園にとっても最も大切な聖書箇所であるマルコ福音書12章28-34節の「最も重要な掟」(最大の戒め)です。それはユダヤ・キリスト・イスラーム教倫理の土台であり根幹である「十戒」(出エジプト記20:1-17)をイエスが愛の精神で解釈した箇所です。それは同時に、キリスト教がユダヤ教から分かれていく分水嶺となる言葉です。イエスは十戒の前半の神と人間の関係である「唯一の神を礼拝し、偶像崇拝を禁じ、神を自己正当化に用いず、7日に一度神を礼拝せよ」という戒めを「全身全霊で神のみを愛せよ」と神への愛の精神で解釈し直しました。また、十戒の後半の人間同士の関係である「父と母を敬い、殺してはいけない、姦淫してはいけない、盗んではいけない、偽りの証言をしてはいけない、隣の家のものをほしがってはいけない」という戒めを「あなたの隣人を愛せよ」と隣人愛の精神で解釈し直した教えです。これはキリスト教倫理の最も大切な教えです。結びに2点を指摘したいと思います。
第一に、「敬和学園」の「敬和」という名称は、十戒を愛の精神で解釈した言葉を日本的な文脈で解釈した言葉です。神への愛と隣人愛をルターの『キリスト者の自由』に立ち返って現代的に言い換えると「神を愛し、人に仕える(奉仕する)」と言い直すことができます。さらに、19世紀にデンマークがプロイセン(現在のドイツ)との戦争で敗れて荒れた国土を回復させたグルントヴィは、神への愛と隣人への愛に、「土地を愛する」を加えて「神を愛し、人を愛し、土を愛す」という三愛主義を唱えました。現代の日本では「土地」を「地域社会」と解釈し直すと、少子高齢化社会で地方創生の時代にふさわしいと思います。その三愛主義に加えて、「学園を愛する」人になってほしいです。
第二に、これからの日本社会を創り出していくのに極めて重要なキーワードは「人権・共生・平和」です。「人権」の概念をさかのぼっていくと、最後に創世記1章27節の「神の像(かたち)」にたどり着きます。人間は命の源である神によって、一人ひとり「神の像(かたち)」「神の似姿」に創造されているのです。そこで、一人ひとりはさまざまな違いを越えて等しく尊いのです。その違いを越えて多様な生き方をお互いに認めてあって共に生き、平和な社会を築いていこうではありませんか。
最後に、かつてドイツの文豪ゲーテは「三千年の歴史を視野に入れない人は、闇の中を歩むようなものだ」と言いました。私たちも「もっと光を」受けて、大きな視野の下で物事を見る目を養っていきましょう。祈りましょう。(山田 耕太)