学長室だより

雲からも風からも・・・

ようやく天候が落ち着いて、新潟教会の川村さんと守弘さんが学生たちと植えてくださった大学のシャクヤクがきれいに咲いています。シャクヤクはドイツ語で「ペンテコステのバラ」と呼ぶそうです。ペンテコステとは、イエスの復活から50日後に、集まっていた信徒たちの上に聖霊が降臨したできごと(使徒言行録2章)を記念する日で、今年は6月8日だそうです。風の爽やかさと聖霊の息吹が重なるように感じられるこの季節に、思い出す詩があります。

2022年に植え付けたシャクヤクが咲きました


 

2022年にシャクヤクの株を寄贈いただきました


 
先日母校の高校の創立記念日に出かけてきたのですが、高校時代に宮沢賢治の「雲からも風からも 透明な力が そのこどもに うつれ」という言葉に出合いました。これは先生方が私たち生徒へ向けた願いなのかなとぼんやり思っていましたが、卒業後何十年も経ってからこの詩の本当の意味を知った時は、泣きたくなるような衝撃を受けました。「稲作挿話(未定稿)」と題された「あすこの田はねえ」で始まる詩は、賢治が開いた講習に参加しながら一人で田んぼをやっている農家の少年に関するものです。賢治に会いに駆けてきた少年が汗だけでなく、涙も拭いていることを見逃さずに、賢治はあれこれと指示を出しながら、「君が自分で考へた あの田もすっかり見てきたよ・・・あれはずゐぶん上手に行った」と語り掛けます。そしてこの詩の最後に、「これからの本統の勉強はねえ テニスをしながら商売の先生から 義理で教はることでないんだ / きみのやうにさ 吹雪やわづかの仕事のひまで 泣きながら からだに刻んで行く勉強が まもなくぐんぐん強い芽を噴いて どこまでのびるかわからない / それがこれからのあたらしい学問のはじまりなんだ」と言って別れ、その末尾に先の言葉が続きます。農業をして「泣きながら からだに刻んで行く勉強」をしている少年のための賢治の祈りです。「考えなくてはいけない」と言われ続けた高校3年間をとうに過ぎてなお、学問とは何かを突きつけられている思いがします。(金山 愛子)